「人生は、線香花火と同じなのよ。」

生前、私のおばあちゃんが言った言葉だった。
浴衣を着て、線香花火に興奮している私に、縁側で座りながらそうボソッと呟いていた。

「これと、同じなの?」

幼い私は、寂しそうに夜の帷を眺めるおばあちゃんに問いかけた。
その言葉に、おばあちゃんは寂しそうに笑ったのを、今でも覚えている。
花火が大好きな私は、線香花火に夢中になっていた。けれど、そんな私の視線を奪ってしまうほどの、儚い笑顔。
しわくちゃになった目尻を更にくしゃっと丸めて。
縁側の木目に手を這わせて。
そして、夜の闇に咲く、小さくて眩い光を見つめて。

「そうよ。線香花火は人生。ほら。もう落ちてしまいそうでしょう。」

私の左手に持つ線香花火を顎でクイっと指す。

「だけど、落ちる前に足掻いているのか、綺麗な光を放つ。ばあちゃんも、もうすぐだ。」

そう話していた。
その直後、線香花火は小さな火玉となって落ちていった。
これが、私が聞いたおばあちゃんの最後の言葉だった。
その二日後、おばあちゃんは亡くなった。
持病を持っているわけでもなかった。
笑顔も絶えなくて、よく私の話に耳を傾けてくれていた。
普通に、その人生を全うした。
人生とは、線香花火。
その言葉は、十二年経った今でも、理解が出来ていない。

けれど、人生を線香花火だと例えたその心が、もしいつ落ちてもおかしくない。どのタイミングで、火花が広がって消えていくのか、分からない。次に何が起こるのか分からない。そんな意味合いが込められているのだとしたら。

…私は、線香花火が大嫌いだ。

ただ、決められたレールを歩くだけがいい。
次の瞬間、何が起こるのか暗示されていて欲しい。光がなくとも、闇で染まっていても。
先の見えないというものが、人生なのであれば、私はこの命を放棄したい。
そう思ってしまうのだ。