「ほら、用事があるんでしょう? あきら、わざわざありがとう。また夏休みが終わったら、学校で会おうね」



あきらはしぶしぶといった様子で、真夏くんに「またね」とだけ言って、玄関で靴を履いた。

ドアを開けて、私を見たあきらは、
「もう推しません」
と、はっきり言って、「ふんっ」とあごを上げて出て行く。



(……す、すごい人だった……)




あきらが帰って、私は全身の力が抜けたみたいにぺたんと座り込む。



「ごめん、すみれちゃん。あきらが色々失礼なことを言っちゃって」



そう言う真夏くんを、私はキッと睨む。



「私のことは“ちゃん”付けなのに、あきらは名前を呼び捨てなんだね」

「えっ?」

「それにあきらのしたことで、真夏くんに謝ってもらうと、なんだか複雑だし」

「?」



私は不満だった。

真夏くんの近くにいる女の子は。

いつだって私がいい。

私だけがいい。

「すみれちゃんのことは、すみれちゃんって呼びたい」



真夏くんが私の前にしゃがむ。



「なんで? あきらは呼び捨てなのに? 家族でもない異性を名前で呼び捨てにするなんて、真夏くん、珍しいよね?」

「あきらは、みんなが“あきら”って呼んでいるから、まぁ、自然とそう呼んでいるけれど」

「……?」



真夏くんは私の頭にそっと手を優しくおいて、二回ほどポンポンと動かした。



「すみれちゃんのこと、呼び捨てになんかしない」



(えっ……?)



それって、どういうこと?

真夏くんの言い方で、勘違いしちゃいそう。



(大事に思ってくれているって、受け取っちゃうよ?)



いいの?

私、また浮かれるよ?




「それより、すみれちゃん」

「ん?」

「お仕事のこと、きっときちんと考えているよね?」

「……うん」

「オレ、すみれちゃんのことを信じているから。あんな悪い記事のことで、潰されたりしないでね」



真夏くんの言葉に。

ふいに泣きそうになった。

仕事をドタキャンしたこと。

色々な人に迷惑をかけていること。

何より、福田さんに心配させていること。



全部、心の中でぐるぐる不安と一緒に渦巻いていて。

後悔する気持ちだって、本当はあるけれど。



……私。

目の前にいる、この人じゃないと嫌なんだもん。



世の中が。

私に甘い言葉をくれていたとしても。



私にはたったひとり。

真夏くんだけでいい。



真夏くんだけに、甘くて、優しい言葉をもらえたら。

ずっとずっと、頑張れるんだよ。






「真夏くん」

「何?」



「あきらと嫌な雰囲気にさせて、ごめんね」



私がそう言うと、真夏くんはにっこり笑って、
「大丈夫だよ」
と、言ってくれた。




何よりも安心する『大丈夫』な気がした。






















お昼の時間が近づいてきた。

真夏くんがお昼ご飯に、おにぎりと野菜スープを作ると言ったから、
「じゃあ、私が作る!」
と、手をあげた。



「えっ、作ってくれるの?」

「あ! 作れないって思っているんでしょう? おにぎりくらい作れるもん!!」
と、自信満々に胸をはる私。



エプロンを借りて。

キッチンに立つ。



まずは野菜スープから、かな?



「冷蔵庫、開けまーす」
と、断ってから開けると、冷蔵庫の中がキレイに整頓されていて、驚いた。



私の部屋の冷蔵庫は何にも入っていないから、ある意味でキレイだけど。

ちゃんと料理する人の冷蔵庫って、色々な食材が入っていたりするし。

実家の冷蔵庫はもう少し乱雑な気がしたけれど。



(さすが、真夏くん……)



どこに何があるのか、初めて見る私にもわかるように整頓されている。




人参とキャベツと玉ねぎ、ブロッコリーも取り出す。

「手伝おうか?」という真夏くんを、丁重に断って。

野菜をひと口大に切る。

それをお湯を沸かしたお鍋に入れて…………。





「出来たよー!」
と、テーブルセッティングして真夏くんを呼ぶ。



多肉植物を眺めていた真夏くんが振り返り、テーブルにつく。



「えっと! 見た目はアレだけど、まぁ、多分美味しいと思うよ!」



そう言いつつ、自信はなかった。



おにぎりって、塩加減とか意外と難しいし。

しかも具材にも悩んで、結局は梅と昆布とおかか、全部混ぜて入れちゃったし。

そもそも塩加減とか具材以前の問題で、おにぎりを握ったこともなかったし。

ボロボロでぐちゃぐちゃな見た目がそれを物語っているよね……。



野菜スープだって、スープってどう作るのかわからなくて。

とりあえず適当に切った野菜をぶち込んだ鍋に、お湯を沸かすことまではしたんだけど。

野菜の出汁(だし)が出るかな? って感じで、そういえば味付けなんかしてないし。





(……まぁ、まずそうだよね)

「いただきます」



真夏くんはそう言って両手を合わせた。

急に恥ずかしくなってきて。



「あの、無理はしないでね!? 美味しくないと思うし!!」
なんて、私が止めてもニコニコしながら、真夏くんはおにぎりを手に取った。




ひと口、パクッと食べる真夏くん。




「…………、美味しく、なくて、ごめんね?」



顔から火が出るかと思いつつ、呟いた。



「色んな味がする」
と、真夏くんはニコニコしている。



「えっ、でも美味しくないでしょ? 失敗したもん」

「失敗?」



真夏くんは咀嚼(そしゃく)しながら、きょとんとしている。



「わ、私、ごはん作ったこと、ないから!」



普段からどこかで買って来たり、外食したりしていて、自炊をしていない。

もっとお料理って簡単に作れると思っていたのに。



(奥が深いんだな)



世の中のお料理をしている全ての人に、今更ながら尊敬の気持ちでいっぱいになる。

「じゃあ、初めて作ってくれたの?」

「えっ、うん」



私の返事に、真夏くんは更にニコニコして。



「そっか」
と、嬉しそうにおにぎりを食べた。



私もおにぎりを手に取り、ひと口食べる。



「っ!!」



すっごい塩辛い。

お塩、振りすぎたよ、絶対。



(こんなにまずいのに)



真夏くん、嬉しそうに食べてくれている。

それだけで胸がいっぱいになった。




食べ終わった時。

真夏くんが「ごちそうさまでした」と言ったあと、私の目を見て、こう言った。



「作ってくれてありがとう」



ときめきと嬉しさで。

頬に熱が集中していくのがわかった。








一緒に片付けをしたあと。

真夏くんが、多肉植物をまた眺めていた。

私もそばに行って、同じように眺める。



「オシャレだね? 寄せ植えって」

「すみれちゃんはこういうの、好き?」



うーん。



「わからない」



正直に答える。



「……素直だなぁ」
と、真夏くんはまた、嬉しそうに笑った。

「真夏くんは好きなんでしょう? 植物大好きだもんね?」

「うん、好き」



(えっ)



突然のその言葉に。

私は自分がものすごく赤面している自覚があった。



(違う、違う! 植物が『好き』って言ったんだから!)



赤くなる必要なんてない。

でも。

だけど。



真夏くんに『好き』って言われたみたいで。

ときめきが身体中にどっと分泌された。



「すみれちゃん」

「えっ! あ、はい、何!?」

「退屈していない? 大丈夫?」

「えっ!? 全然! 退屈とか思ってないよ」



やっぱり私には、植物への興味はあまりないけれど。

植物を眺めている真夏くんを眺められるだけで。

宝物みたいな時間になる。



「今朝ね」
と、真夏くんが話し始めた。




「今朝ね、豆苗や多肉植物にすみれちゃんが挨拶しているのが聞こえてきて」

「えっ!! 聞いてたの!?」

「うん、ごめんね」

真夏くんは嬉しそうに目を細めた。



「なんかオレ、嬉しかったんだ。植物といっても、大切な一緒に暮らしている仲間だから」



そう言った真夏くんは、
「すみれちゃんにはそれが伝わっているんだなって思うと、ちょっと感動した」
と、私に優しく微笑んだ。



当たり前じゃん。

伝わっているよ。

だって、真夏くん。

私、真夏くんのことが本当に好きなんだもん。






「今朝話していたコロッケ、買いに行こうと思うんだけど、すみれちゃんはどうする?」

「えっ?」

「ちょっと外の空気を吸いに行く?」



いいの?

真夏くんの、迷惑にならない?



(誰かにバレたら、真夏くんにだって迷惑かけちゃうよ)



「行きたい……って言ったら、真夏くん、困る?」

「えっ? なんで? 全然困らないよ」
と、真夏くんが言って、
「コロッケ、結構種類があるんだよ。すみれちゃんが好きなやつがあるといいんだけど」
なんて、ニコニコしている。