真夏くんが頬をほころばせた。

私もつられて笑ってしまう。



「……好きだよ」

「真夏くん……」



私は真夏くんを抱きしめた。

ぎゅっとしていると。

やっぱり心が落ち着く。



真夏くんも、優しく抱きしめ返してくれる。



「ねぇ、真夏くん」

「ん?」

「キスしてくれる?」



顔は見えないけれど。

真夏くんが小さく笑ったことがわかった。



「なんで笑うの」
と、わざと不機嫌な声を出すと、
「ううん。可愛いなって思っただけ」
真夏くんがご機嫌な様子で返事した。



またほんの少しお互いの体を離す。

目の前に真夏くんの顔がある。

左右の目が揺れた。



「真夏くん……、キスして」



呟くように言うと、真夏くんが少しだけ顔を傾けた。



(あ……、キスしてくれるんだ)



ドキドキしてくる。

胸の高鳴りって。

なんでこんなにも。

つらくて。

心地良いんだろう。

(どのタイミングで目って閉じればいいの?)



頭の片隅で悩んでしまうけれど。

すぐにそんなことは考えられなくなった。



真夏くんの唇が。

私の唇にそっと触れる。



(私、キスしている……)



ずっと望んでいた。

大好きな人との。

こんな幸せな瞬間。



真夏くんの唇が少し離れて、
「こんな場所で良かったの?」
と、呟く。



「こんな場所って?」

「大切な初めてのキスなのに、こんな、何でもないオレの部屋で……、こんな雰囲気で……」



(そんなこと、心配しなくてもいいのに)



「私には、真夏くんとするキスに意味があるんだから」
と、正直に伝えた。



そう。

真夏くんとだったら、どんな場所でもどんな雰囲気でも、最高のものになるよ。




「好き、真夏くん」
と、伝えた。



真夏くんはもう一度唇を重ねてくれた。

そして、上唇だけ触れたままで、
「オレも好きだよ」
と、息だけの声で囁いてくれる。

こんなに満たされた気持ちは、はじめてだと思った。

好きな人に。

好きって伝えて。

同じ気持ちでいてもらえて。

その大切な気持ちを、確かめ合える。



(真夏くんのこと、好きでいて良かった)



ときめきが。

この部屋全体に広がって。

見えないシャボン玉が飛んでるような。

ふわふわしていて、心地が良い。

















「帰るの?」
と、真夏くんが聞いてきた。



「うん、もう帰らないと」



私は身支度を整えて。

窓のそばに行った。



「真夏くんのこと、これからも見守っていてね」
と、多肉植物の寄せ植えと豆苗に話しかける。



束の間だったけれど。

この部屋で過ごした三日間は、宝物みたいな時間だったな。

十六歳の夏が全て詰まったみたいな。

素敵な時間。



真夏くんを振り返って見ると、なんとなく寂しそうに見えた。

……もう、可愛いな。



「また絶対に来るからね」

「うん」

「そしたらまた、ゴロポテコロッケを食べようね」

「うん」

「川原にもまた行きたい」

「そうだね」



そう言って、私は真夏くんに近寄り。

めいいっぱい抱きしめた。



「……すみれちゃん、応援しているからね」

「うん、真夏くんのおかげで、不安が減ったから大丈夫だよ」

「それなら良かった」

「また不安に負けそうになったら」
と、私は真夏くんの顔を見た。

「真夏くんに話を聞いてもらってもいい?」



真夏くんはニコニコ笑って、
「もちろん」
と、私の頭をポンポンと撫でた。



「よし、じゃあ、最後にキスする?」
と、提案すると、
「……すみれちゃん、全然雰囲気がない」
なんて、真夏くんが笑った。



「それでも、好きでいてくれるでしょ?」

「うん、大好き」



チュッとキスをすると、真夏くんが、
「……離れがたいな……」
と、すねたような声を出した。



そんな真夏くんを見て。



(私、この人とずっと一緒にいるんだろうな)
なんて、わくわくするような、妙な確信が芽生えた。



サングラスをかけて。

私は真夏くんの部屋を出る。



「いってらっしゃい」
と、声をかけてくれた真夏くんに、
「いってきます!」
と、返事した。










そして。

私は。

私の部屋に帰って来た。

福田さんにものすっっっごく怒られて。

色んな人達に謝って。

きちんと、仕事に戻ることが出来た。

SNSを見ていなかったから知らなかったことで。

あきらが書いた記事は。

確かに、大騒ぎにはなったけれど。

福田さんによると、あの記事には、《なんで高野 すみれの居場所をあなたが知っているの?》や、《嘘くさい》などのコメントもたくさんあったらしく。

世間的には、信じる人が少なかったらしい。



「奇跡みたいなことだからね」
と、福田さんにそのことについても、
「あなたは運が良かっただけ!」
なんて、怒られた。



真夏くんとあきらがその後、仲直りをしたのかどうか、私には知らされていない。

だけど。

きっと、真夏くんのことだから。

きちんと話し合ったんだろうな、とは思う。






「すみれ、いいじゃない! もっとその調子で笑って!」



カメラマンがニコニコ笑って、親指を立ててくれた。

今日の撮影は、ファッション雑誌の表紙。



「少し前より、笑顔が柔らかくなったわね」

「ありがとうございます」



パシャ、パシャとシャッターを切る音が心地良いと感じるようになった。

休憩時間に、スマートフォンを見ていると。

真夏くんからメッセージが来ていた。



《今度のすみれちゃんの休みの日、会えることが楽しみ。その日はゴロポテコロッケ、買っておくね》



私は、
《一緒に買いに行く!》
なんて返事を送り、
《私も楽しみ!!》
と、すぐにもう一度送った。



カメラの前で。

自信が持てるようになったのは。



こんなふうに、私の味方でいてくれる存在が。

近くて。

確かなものだって。

信じられているからかもしれない。



既に始まっている映画の撮影でも。

背筋を伸ばして、参加出来ている。




その日の帰り道。

車の中で、福田さんが心配そうな顔をした。



「明日、あなたが嫌がっていたキスシーンの撮影があるんだけど」

「嫌がっていたって……、まあ、そうですよね」



思わず苦笑いしてしまう。



「あら、もういいの? 吹っ切れた?」

「いいんです。大切なキスは、ちゃんと大好きな人としましたから」

「ふぅーん、なるほどね」



福田さんが珍しくニヤニヤした。

つられて私も笑ってしまう。



「いや、笑い事じゃないから。大変なことをしでかしているからね。その大切なキスのせいで」
なんて、福田さんがまたお怒りモードになったので、
「すみませーん」
と、笑顔を引っ込めようとしたけど、無理だった。



(今度の休み、楽しみだなぁ)



撮影の時。

私は、誰かの恋人になるけれど。


カメラの前から一歩離れたら。

真夏くんの恋人に戻る。



信じてくれる人と、これからも歩いていける喜びを胸いっぱいに感じて。


















「高野 すみれの映画、観た?」
と、電車の中でどこかの制服を着た女子高校生が話していた。



「観た! 超良かったよね!?」

「ほら、あのキスシーン! めっちゃキュンってしなかった!?」

「いやー、あれは最高でしょう!!」



私は顔を見られないように俯きつつ、
(ありがとう!!)
と心の中で叫ぶ。



「あんなに素敵なキスシーンってさ、本人も素敵な恋をしているから出来るのかなぁ?」
と、ひとりの女子高生が言う。



友達らしき他の子が、
「そうなんじゃない? だって素敵な恋を知らないと、あれは出来ないって!」
と言ったかと思えば、
「案外理想とか妄想かもよ。あんなに忙しいのに、高野 すみれが恋愛している時間なんてないっしょ!」
なんて言う子もいる。



「どうなんだろう〜?」
と、楽しそうに話しているのを見て。




私はニコニコが止まらなくなった。

今、顔を見られたら、ちょっとヤバい人に思われそうなくらい。