笑美には誰にも話していない大きな夢があった。
 薬剤師国家資格を取得したあと、アメリカに渡って有名な音楽院で学ぶことだった。
 その名は『ジュリアード音楽院』
 1905年に創立されたジュリアードは世界一の音楽大学と評されており、一流ミュージシャンへの登竜門とも呼ばれている。
 そこで学んでアメリカでレコードデビューする夢が膨らんでいたのだ。
 しかも好都合なことに、ジュリアードのある場所はニューヨークで、彼が留学を予定しているボストンとはアムトラック(長距離特急列車)で最速3時間半の距離にある。
 安く行きたい時はバスもある。
 これだと5時間はかかるが、一泊すればなんの問題もない。
 日本とアメリカで離れ離れに暮らすよりはよっぽどいいに決まっている。
 そういうこともあって、気持ちはジュリアード留学へと大きく傾いていた。

 しかし、情報が足りなかった。
 大きな書店に行っても、大きな図書館に行っても、より詳細なジュリアードの情報を得ることはできなかった。
 周りにいる人たちも情報は持っていなかった。
 もっと具体的なことが知りたい、自分が合格できるレベルなのかどうか知りたい、
 そんな焦りにも似た気持ちを抱えて日々を過ごしていた。

 そんな時、たまたま手に取った音楽雑誌でジュリアードを卒業した日本人女性ピアニストのインタビュー記事を目にした。
 その人は昨年帰国して東京を中心に活動していた。
 インタビュー記事を読みながら、これは何かの縁だと思った。
 だから、(わら)にも(すが)る思いでそのピアニストに手紙を書いた。
 住所がわからなかったので、彼女が所属するレコード会社宛に送った。
 1枚目には、この手紙を彼女に渡して欲しいと書き、2枚目以降には、なんとしてもジュリアードを受験したいという熱い想いを綴った。
 すると、信じられないことに返事が届いた。
 会ってくれるというのだ。