それから交互にピアノを弾いて1時間ほど過ごしたあと、彼女を喫茶店に誘った。
 最寄り駅の近くにあるこじんまりとした店だった。
 コーヒーを頼むと、彼女はミルクティーを注文した。

 ピアノ演奏に魅了されたと彼女は何度も言った。
 ショパンの曲を3年半振りに弾いたなんて信じられないと。
 そしてニコッと笑って、
「わたし、ショパンのボロネーゼが大好きなんです」と言った。

「えっ、ボロネーゼ?」

 思わず笑ってしまった。
 すると、なんで笑うの? というような表情になった。
 言い間違いがわかっていないようだったので、「笑美ちゃん、それはスパゲッティだろ」と指摘したが、それでも気づかないようだった。
 彼女はキョトンとした顔でこちらを見つめていた。

「ショパンの曲は、ポロネーズ!」

 正しい曲名を告げると、すぐにヤダ~と言って両手で顔を隠した。
 両手で隠したまま、イヤイヤと首を横に振った。

「もう、わたしったら……」

 穴があったら入りたいというような顔になった。
 その仕草と表情に見惚れた。
 可愛いな、と思った。
 すると、胸の中で八分音符が軽やかに弾んだ。