翌日の夕方、大学から帰宅して食事を済ませたあと、風呂に入って髪を洗っている時だった。
「電話よ」
 すりガラス越しに母親の大きな声が聞こえたので、すぐさまシャワーを止めた。
「誰?」
「木暮戸さん」
「キーボー? あっ、え~っと、あとでかけ直すって言っておいて」
 急いで風呂から出て髪を乾かし、服を着て、電話が置いてある玄関に急いだ。

 受話器に手を置いた。
 しかし、それを持ち上げることができなかった。
 電話が繋がった時に何を言ったらいいのか思い浮かばなかったからだ。
「どうも」
「電話を貰ったそうで」
「風呂に入っていたので遅くなりました」
「お変わりありませんか?」
「どんな御用でしょうか」
「スナッチです」
「須尚です」……、
 頭に浮かんだセリフはどれも陳腐で使えるフレーズではなかった。
 困った。
 もっと気の利いた言葉はないかと探したが、やっぱり何も思い浮かばなかった。

 ぐずぐずしていると、リビングから母親が出てきてトイレに入ろうとした。
 しかし、ドアを開けたまま立ち止まって、怪訝そうな表情でこっちを見た。
 そして、「何してるの? そんなところで長居してたら湯冷めするわよ」と言ってから、
 ドアをバタンと閉めてトイレに入った。