今秋の大学祭に関するミーティングが終わって代表やメンバーが退室したあと、ピアノチェアに座った彼女が躊躇いがちに口を開いた。

「あの~、ジャズの演奏経験ってありますか?」

「いや、ずっとクラシックだったから」

 ショパンならほとんどの曲が弾けると伝えた。
 すると、一気に顔を綻ばせた。

「わたしも大好きです、ショパン」

 そして鍵盤を軽やかに叩いた。
『子犬』だった。
 ワルツ第六番変ニ長調。
 2分弱の短い曲の中で、子犬が自らのしっぽを追いかけてグルグル回る様子が表現された可愛い曲。
 彼女にピッタリの曲だと思った。

「極さんも弾いてみて」

 いきなり名前を呼ばれて少し驚いたが、それを顔には出さないようにしてピアノチェアに腰かけた。
 そして、鍵盤の上に指を置いた。
 3年半ぶりのピアノだった。
 少なからず緊張したので、心を落ち着かせるために大きく息を吸った。
 そして鍵盤から少し指を浮かせて、そのままの状態で頭の中にメロディーが流れてくるのを待った。

 満ちてきた。
 メロディーが満ちてきた。
 すると指が自然に動き始めた。
 気づいたら鍵盤の上を指が縦横無尽に動き回っていた。
 自分でも信じられないくらいに力強くショパンの舞曲を奏でることができた。

 弾き終わると、彼女がびっくりしたように大きく目を開けて見つめていた。
 そしてハッと気づいたように拍手を始めた。
 そういう反応を予想していなかったのでちょっとびっくりしたが、「どうも」と言って軽く頭を下げた。