轟は腕を組んで真っすぐ正面を見つめていた。
 須尚がプレゼンをした資料が映るスクリーンを睨むように見続けていたが、一つ息を吐いたあと、ゆっくりとした動作で腕を解き、両手を机の上に置いた。
 そして、意を決したように口を開いた。

「我が国の音楽産業は危機に瀕しています。この20年で音楽ソフトの生産実績は半分になってしまいました。これを危機と言わずしてなんと言うでしょう」

 発言に呼応するように、スクリーンに映し出された資料が生産実績推移のグラフに変わった。
 その急激な右肩下がりのグラフは、坂道を転がり落ちていく恐怖を取締役全員に与えるようだった。

「もちろん、それに対してわたしたちは指をくわえていたわけではありません。様々な対応策を講じてきました。考えられる限りの手を打ってきました。しかしそれが功を奏することはありませんでした。何故でしょうか?」

 轟が視線を動かした。
 取締役全員に考えさせるように一人一人を無言で見つめた。
 そしてスクリーンに視線を戻した。

「売ることばかりを考えていたからです。目先の売上確保ばかりを考えていたからです」

 パソコン操作をしている経営企画スタッフに向かって頷くと、スクリーンの画面が変わった。
 音符が軽やかに踊り、老若男女の笑顔が溢れるイラストが映し出された。

「音を楽しむと書いて音楽と読みます。決して音を売るとは書きません。しかしわたしたちは、当社に限らず業界全体で音売(おとうり)をしてきたのではないでしょうか」

 轟がスタッフに目配せをすると、またスライドが変わった。
 色々な生活シーンが映し出されていた。
 リビング、キッチン、寝室、子供部屋、車の中、アウトドア……。
 それぞれのシーンで家族が、夫婦が、子供が、恋人たちが音楽を楽しんでいた。

「わたしたちは今こそ音楽に立ち戻るべきです。音を楽しむ喜びを提供するという原点に立ち戻るべきなのです」

 言い終わると同時に引き締まった表情が緩んで笑みが零れた。

「いつでも好きな音楽を聴ける環境作り無くして音楽産業の再興はあり得ません。聴きたい時にいつでも聴ける環境を、そして、今まで知らなかった素敵な曲を発見する喜びを、一人でも多くの人に提供することが最も重要なことなのです」

 笑みが消えて引き締まった表情に戻った。

「当社がFM局の経営に乗り出すのは一見無謀のように思えるかもしれません。しかし、音楽という原点に立ち戻れば、音を楽しむ機会の提供という観点で見れば、CDであれ、DVDであれ、コンサートであれ、FM局であれ、なんら変わりはないのです」

 そこで言葉を切って取締役全員を見回した。

「わたしは経営に責任を持つ者として常に理想と現実の両面を見比べながら最適な判断をするように心がけています。何故なら、理想だけでは食べていけませんし、現実だけでは夢がないからです。理想と現実が調和してこそ初めて活気が生まれ、それによって、光輝く未来に向けた経営に取り組めるものと確信しているからです。そういう観点からこのFM局買収計画案を見て見ますと、音を楽しむ機会の提供という理想への挑戦だけでなく、しっかりと現実的なリスクヘッジが為されています。5年という投資回収期限が明記されていますし、回収できなかった場合の売却案も3案併記されています。これによって、万が一投資が失敗した時においても経営を揺るがすような損害額は発生しない仕組みが出来上がっています。つまり、リスクテイクとリスクヘッジのバランスが図られているのです。あと残るのは決断だけです。やるかやらないか、です。わたしはやるべきだと思います。それも今すぐに。ですからGOの指示を出したいと考えています。皆さんはいかがお考えでしょうか」

 発言が終わるや否や須尚は立ち上がって思い切り拍手を送った。
 すると、予想もしていなかったことが起こった。
 態度を保留していた2名の社外取締役が続けて立ち上がって拍手を始めたのだ。
 それを見た残りの取締役が慌てて立ち上がって拍手の輪に加わった。
 それを受けて轟も立ち上がり、満面の笑みを浮かべて取締役たちに拍手を送り返した。
 それは、エレガントミュージック社の経営陣が一枚岩になった瞬間だった。