須尚正 

 帰国前日にキーボーの家に寄った須尚は、気になっていたこと、前回言いそびれていたことを質した。

「耳の調子、良くないんだろう?」

 彼は目を伏せた。

「職業病だからな」

 難聴が進行しているようだった。
 一日中ヘッドフォンを耳に当てて密閉された状態で音楽を聴き続けるだけでも耳に負荷がかかっているのに、それに加えて、リスナーへの配慮が耳の負担を増す結果になっていた。
 普通の音量で聴くリスナーだけでなく、大音量を好むリスナーにも最適なバランスで聴いてもらいたいと、爆音に近い音量での調整を自らに課していたのだ。

「特にロックはドライヴ感が大事だからな。音が歪むくらいの音量を好むリスナーが多いんだよ。そんな彼らに満足してもらえなければ俺の価値はない」

 プロフェッショナルとしての彼の意地だった。
 譲れない意地だった。
 しかし、それが耳を虐めていた。
 虐待のレベルに達していた。
 一流のプロとしての彼の意地が耳を虐め続けていたのだ。

「もう十分だろ」

 彼が直面している二つの危機に終止符を打たせたかった。
 耳への負荷とアルコール依存だ。

「もう十分だよ。これ以上自分を虐めちゃだめだ」

「別に虐めてなんかいないさ」

 彼は頭を振った。
 しかし、力ない動きだった。

「そうだな、虐めているわけじゃないな」

 彼が言っていることを肯定した上で別の言葉を探した。

「そろそろ、卒業してもいいんじゃないか」

「卒業か……」

 独り言のように呟いたその言葉に、安堵が混じっていたような気がした。