ひとしきりビージーズの曲を聴いたあと、タイミングを見計らって本題を切り出した。
 しかし、明確な助言を得ることはできなかった。
「オリジナルとは内面から出てくるもので、他人のアドバイスによって引き出されるものではない」
 というようなことを言われてしまったのだ。
 それはその通りかもしれないが、初めて曲作りに挑戦する自分にはなんの参考にもならなかった。
 もっと具体的に教えて欲しいと頼みたかったが、同じ言葉しか返ってこないだろうと諦めて引き下がることにした。
 
 家に帰る足取りは重かった。
 なんの手掛かりも得られていないのだ。途方に暮れていた。

 自分の部屋に入って、キーボーが貸してくれたビージーズのベストアルバムとライヴアルバムの2枚を机の上に置いた。
 椅子に座って部屋を見回すとため息が出た。
 6畳の和室は彼の豪華な地下室と違って音楽を聴く環境からかけ離れているように思えた。
 それにステレオは安物のコンボだった。
 小さなスピーカーから出る音は彼の家で聞いた音とは雲泥(うんでい)の差があった。
 しかし、普通の会社の普通のサラリーマンを父に持つ息子としては今以上の贅沢は望めなかった。
 個室を与えられているだけでも恵まれているのだ。
 
 長男と双子の弟の3人で構成されたビージーズは憂いのあるメロディーとハーモニーが人気で、特に、長兄バリー・ギブのハスキーヴォイスとロビン・ギブのハイトーンのハーモニーが最高だった。
 中でもバリー・ギブの歌のうまさには参った。
 それに歌の途中で「ハ~」というため息のような歌声が聴こえてきた時には正直言って痺れた。
 同じハスキーヴォイスの日本人演歌歌手が「は~」と歌えばコブシが回るが、バリー・ギブの「ハ~」は細かいビブラートがかかってなんとも言えないセクシーさを醸し出すのだ。
 ライヴアルバムに収められている1971年の全米ナンバーワンヒット曲『傷心の日々』で「ハ~」と歌った瞬間、若い女性の吐息を漏らすような歓声が会場のあちこちから聞こえてきたが、自分が女性でも同じように反応すると思った。

 2枚のアルバムを聴き終わると、キーボーがビージーズに痺れる理由がよくわかった。
 しかしビージーズ風では今までと何も変わらない。
 ビージーズを封印して新たな道を開かなければならないのだ。
 手さぐりで闇夜の中を歩くような日々が始まった。