骨伝導補聴器の存在を知って胸を膨らませていた最上を更に興奮させる知らせが飛び込んできた。
 それは、新薬開発の号砲を鳴らすものだった。

「マウスとラットに投与して、有毛細胞の毛が再生するかどうか観察しましょう」

 ニタス博士が主導する前臨床試験が始まるのだ。
 これは、人に投与する前に動物で安全性と有効性を確かめる試験であり、有毛細胞の毛を失ったモデル動物に毛が再生するかどうかを見ることを主目的としていた。
 その試験デザインは、低用量、中用量、高用量の3種類の薬剤を経口投与し、それを、3か月、6か月、9か月、1年の4期間で観察するものだった。

 動物実験が始まることにほっとした最上は肩の荷が下りたようになって、「あとは待つだけですね」とニタスに笑みを向けた。
 しかし、彼は厳しい表情になって即座に否定した。

「いや、待つ余裕はありません。この誘導体がうまくいかなかった時のために、バックアップの誘導体を用意しておかねばなりません。そして、新たに合成した誘導体を次々に試していくのです。試す誘導体が多ければ多いほどチャンスが広がります。時間との戦いなのです。我々に座して待つ余裕はありません」

 その通りだった。
 最上は自分の言葉を恥じた。

「申し訳ありません。軽率でした」

 すると、さっきと打って変わって穏やかな笑みを浮かべたニタスが最上の肩に手を置いた。

「人事を尽くすことが大事です。天命を待つのはそれからです」