須尚正 
 
 麗華に押し切られるように芸能大への受験を認めた須尚だったが、娘の将来に対する不安はすぐに消えて、頭の中は仕事のことでいっぱいになっていた。
 音楽業界を襲う激変への対応が大変だったのだ。

 2000年代に入ってからCDの売上減少が止まらなくなっていた。
 当然のことながらレコードの売上は無いに等しかったし、カセットテープの売上も見る影が無くなった。
 その影響で、CDショップやレンタル店の数はピーク時の半分になっていた。
 ネット配信に完全に押されていたのだ。
 唯一健闘していたのは、ミュージックビデオだった。

 そんな背景もあって、轟と相談した上でミュージックビデオに注力することにした。
 CDと違って目と耳の両方で音楽を実感できるという特徴を有していたし、CDよりも単価が高いという商売上のメリットもあった。『マニアには音を! ファンにはビジュアルを!』
 という方針の下、マニア向けにはクリアな高音質CDを提供し、ファン向けにはスタジオ演奏、ライヴ演奏、プライベート映像満載のミュージックビデオを提供することにした。
 
 これが当たった。
 インターネット動画配信サイトとの相乗効果もあり、大きく伸びたのだ。
 コアなマニアをより高音質なCDでがっちり掴み、移り気なファンを多種多様なミュージックビデオで繋ぎ止める、この戦略が会社を成長軌道に戻すかと思われた。

 しかし、日本人の音楽離れは予想を超えていた。
 ミュージックビデオや音楽配信の増加で一時的に売上が盛り返したものの、それは長続きせず、自社のみならず音楽業界全体の売上は底なし沼に入り込んだように不気味な音を立ててズブズブと沈んでいった。