「あら、早かったわね」

 午前様を予測していたのか、玄関に入るなり妻が驚いたような声を出した。

「うん。なんとなくこういうことになった」

 リビングのソファに腰を下ろしてから、須尚が耳鳴りで悩んでいることを話した。

「そう……」

 妻の表情が曇り、「いいお薬があればいいのにね」と力なく首を振った。
 薬剤師である妻は治療薬がないことをよく知っていた。

「うん、そうなんだ」

 相槌を打ったが、そのあとが続かなかった。
 すると、「わたしのところでもね」と妻が話を引き取り、診療所に来る高齢者たちとコミュニケーションをとるのが大変になっているということを話し始めた。

「須尚さんの耳鳴りも気の毒だけど、耳が聞こえにくいお年寄りもかわいそうなの」

 なんとかしてあげたいと思っているが、どうにもならなくて歯がゆい思いをしていると嘆いた。

「耳鳴りと老人性難聴か~」

 なんとかしたいという思いは妻と同じだった。
 それに、治療薬のない難病にアプローチすることに意味があるのはわかっていた。
 しかし、それに挑むのは無謀以外の何物でもないことも事実だった。

「再生医療か……」

 思わず腕を組んで天井を見上げた。
 視線の先に答えはなかったが、それでも何かの啓示が下りてくるのではないかと思って見続けた。
 使命感と弱気の虫がせめぎ合う中、視線を戻すことができなかった。