最上極 
 
 ワシントンD.C.に連絡事務所を開設してから、あっという間に18年が過ぎた。
 最上製薬の社長になってから会社を成長軌道に乗せてはいたが、残念ながら、アメリカへの本格進出の夢は閉ざされたままだった。
 ここに研究所をつくり、ここで開発した新薬をアメリカで発売する、そんな夢は、まだ夢のままだった。

 しかし、情報収集だけは怠らなかった。
 僅かなチャンスも見逃すまいと必死になって各社の開発動向を探った。
 特に、ベンチャー企業の情報には目を光らせた。
 それは開発の進捗状況にとどまらず、彼らが集める潤沢な資金の出所にも向けていた。

 アメリカでは大学や研究機関からスピンオフした優秀な研究者が新たな会社をどんどん設立しているだけでなく、海のものとも山のものともわからないベンチャー企業に対して多額の資金が集まっていた。
 エンジェルと呼ばれる裕福な個人投資家が設立資金や運営資金を提供する構図が出来上がっていたのだ。
 そして事業の拡大時期になると、ベンチャーキャピタルという投資会社がより多額の資金提供を行っていた。
 その状況は日本では考えられないことだった。
 エンジェルは皆無に等しかったし、ベンチャーキャピタルの数も規模も比較にならないくらい小さなものだった。