そんなことなど引っ越しに伴って色々なことがあったが、それが仕事に影響することはなかった。
 良好な経済環境にも恵まれて思い描いた以上の順調なスタートを切ることができたのだ。

 1980年代後半からCDの普及期に入り、その音質の良さと操作の簡便性が受けて音楽を楽しむ人の数が増加していた。
 加えて、バブル景気真只中にあり、消費者の財布の紐は緩くなっていた。
 その追い風を最大限生かすために積極的にFM局へ攻勢をかけ、CDショップでの品揃えを拡充した。
 その結果、5年間で東京エリアの売上を2倍以上に伸ばすことに成功した。
 すると40歳の時、新たな辞令が下りた。

『関東支店長を命ず』

 念願の辞令だった。
 CDの売上は伸び続け、音楽業界は空前の盛況に沸いていた。
 プロモーションを打てばどれも大きな反応を得ることができた。
 この盛況が終わると考える者は業界に誰一人いなかった。
 須尚もそのことを疑わなかった。
 この調子で売上を伸ばしていけば、自ずと営業部長への道が開けると思っていた。
 もちろんその先も狙っていた。
 有頂天になることは戒めなければいけなかったが、とにかく何もかもが順調で、攻めることしか考えていなかった。
 しかし、会社の中でたった一人だけ冷静に物事を見ている人物がいた。
 轟響子だった。