3年間の留学が終わると、早速帰国して父親がいる社長室に顔を出した。
 すると待っていたように辞令が渡された。
 中央研究所の上級研究員として新薬開発を担当するというものだった。
 もちろんそれは自らが望んでいたことだし、それに没頭できることにワクワクしていた。
 病気で苦しんでいる世界中の人々に革新的な薬を届けたいという気持ちはより強くなっていたし、それができると信じていた。

 躊躇わず2分野に的を絞った。
 一つは、癌。もう一つは、難治性疾患。

 それには理由があった。
 現在の主力薬で成長を維持するのが難しくなっているのだ。

 最上製薬の主力薬は成人病薬だった。
 高血圧症、糖尿病、高脂血症などの治療薬で、働き盛りの人に発生率が高いことから成人病と呼ばれていた。
 当時は成人特有の病気という認識だったからだ。その主力薬も、最上製薬の完全なオリジナルとは言い難かった。
 いわゆる〈ゾロ新〉と呼ばれる改良型の新薬で、画期的な新薬ではなかった。
 それ故、他社の参入も容易で、販売現場での競争は熾烈を極めていた。
 だから、ゾロ新ではなく〈ピカ新〉と呼ばれる画期的新薬を開発しなければ、この泥沼のような競争から脱することはできなかった。
 それに、ゾロ新では海外展開の可能性はゼロだった。

 それは最上製薬だけでなく、日本の製薬大手の認識もまったく同じだった。
 それぞれの会社の研究所でピカ新開発への号令がかかっていた。
 その中で、ある大手製薬会社が高脂血症の画期的な治療薬の開発を進めていた。
〈スタチン系〉と呼ばれるコレステロールを下げる薬で、将来のブロックバスター化が期待されていた。
 つまり、従来の治療薬の概念を覆す薬効によって年間1千億円以上の売上が見込まれていたのだ。

 それに負けじと大手製薬会社のすべてが成人病薬のピカ新開発に莫大な研究費を投じ始めた。
 しかし、中堅クラスの最上製薬にはそれに対抗できるだけの資金がなかった。
 同じ土俵で相撲を取っても勝ち目はないのだ。
 だから大手とは違う道を行くしかなかった。