「趣味がピアノ演奏って言っていたよね。弾いてみたら?」

「えっ、いや……」

 突然のことに言い淀んでいると、どうしてか同僚が店の人に声をかけた。

「彼が弾いてもいいですか?」

 すると店の人は一瞬ぽかんとしたようになったが、すぐに最上に向き直って「お客様が、ですか?」と指の方に視線を向けた。

「いや、というか……」

 しどろもどろになっていると、同僚は勝手に話を進めた。

「そうです。彼はプロ級なんです」

 演奏を聞いたこともないのに最上の腕を保証した。
 すると店の人が頷いた。

「わかりました。少々お待ちください。オーナーに確認してまいります」

 その人は店の奥に向かって歩き出した。

 少しして、恰幅(かっぷく)の良い男性を連れたスタッフが戻ってきた。
 オーナーだという。

「では、1曲聞かせていただけますか?」

 落ち着いた声で微笑みかけると、スタッフが頷き、同僚も、さあ早く、というような目で促した。

 こうなると断ることはできなくなった。
 修士課程の2年間ほとんどピアノに触っていなかったので心配が先に立ったが、ここにきてそれを口に出すことはできなかった。
 オーナーに促されるままグランドピアノの前に立ち、ピアノチェアに座った。