「日本からやってまいりました最上極と申します。私は1953年に生まれました。終戦の8年後です。当時の日本は貧しく、国民の生活は厳しいものでした。しかし、アメリカを先生とし、アメリカを追いかけ、日本国民は必死になって働きました。その結果、西ドイツを抜いて世界第2位の経済大国になることができました。これもアメリカの寛大な支援があったからこそと感謝しています」

 そこで謝意を表すために頭を下げてから話を続けた。

「日本は経済大国になりました、しかし、世界の先進国として歩んで行くためにはまだまだクリアしなければならない課題が数多く存在します。その一つに独創的な研究があります。改良技術や応用技術によって成し遂げられた日本の経済成長はより良いものをより安くというコンセプトに的を絞ったことが成功の要因でしたが、その反面、基礎研究において欧米の先進国に大きく後れを取っていることも事実なのです。ですから、画期的な製品を産み出すことができていません。医薬品を例に取れば、日本で使われている薬の多くが欧米からの輸入品なのです」

 物音一つしなくなった会場に向けて言葉を継いだ。

「改良技術や応用技術で世界に貢献することは大きな意味があります。しかし、それだけで満足してはいけないと思っています。世界に製品を輸出することによって頂いた利益を世界に還元しなければいけないと思うのです。そのためには未解決の課題をどうやって解決するかという新たなアプローチが必要です。未知の領域に踏み出さなければならないのです」

 頷く人が何人も見えた。
 意を強くした最上は声に力を込めた。

「私の目標は世界初の技術で未解決の課題を克服することです。具体的に言えば、有効な治療薬のない癌や難治性疾患に対する革新的な新薬を開発することです。もしそれが実現できれば、日本の復興に力を貸していただいた世界各国に恩返しをすることができます。これこそが、世界第2位の経済大国になった日本の新しい貢献なのです」

 そして会場を見回したあと、声を落ち着かせて話を締めくくった。

「世界最先端の研究に取り組んでいる皆様と切磋琢磨できる機会を与えていただき、心から感謝しています。これから3年間、よろしくお願いいたします」