仕事上の悩みを抱えながらも、プライベートではドキドキする日が続いていた。
 あの日以来、グラバー園で偶然再会して以来、週末になるとトルコライスを食べにあの店に通い続けていたのだ。
 競争相手が多いのはわかっていたから、それを勝ち抜くためには彼女がバイトする日は皆勤するしかないと思い、それを実行していた。
 幸いにも福砂屋のカステラというインパクトが功を奏したのか、通う度に彼女の対応が好意的になっていると感じるようになった。
 しかし安心してはいられない。
 ライバルたちも虎視眈々(こしたんたん)と狙っているのは間違いないのだ。
 ぐずぐずしていると誰かに先手を打たれそうで気が気ではなかった。
 だからまだ早すぎるのはわかっていたが、思い切って行動に出ることにした。

 彼女のバイトが終わるのを待って、店から出てきたところでデートを申し込んだ。
 何を言っていいかわからなかったので、「僕と付き合ってください」と単刀直入に告げた。
 彼女は驚いたような表情でしばらくこちらを見ていたが、何も言わずに歩き出したので慌てて追いかけた。
 しかし掛ける言葉が何一つ思い浮かばなかった。
 黙って横を歩いたが、普段聞こえるはずのない心臓の音が鳴っているように感じて、顔がのぼせたように熱かった。

 気がつくと、路面電車の駅に立っていた。
 しばらくして電車が到着すると、ドアが開く間際に彼女がこっちを見た。
 そして可愛い声で、「また食べに来て下さい」と言って電車に乗り込んだ。
 動き出すと、胸の前で小さく手を振ってくれた。
 それを見て叫びたい気持ちになった。
 しかしぐっと堪えて、彼女と同じように胸の前で小さく手を振った。
 電車が見えなくなるまで手を振り続けた。