○路地裏(放課後)

路地裏ではらはらする彩音。
真顔だった虎太郎がぱっと笑顔になる。

虎太郎「なんだよ、こんなところにいたのか!」

楓の肩を抱いて親しげな様子。

虎太郎「探しただろ~」
楓「ちょっとぶらついてたんだよ」
彩音「え、あの、二人って仲が悪いんじゃ……?」
虎太郎「仲悪い? まさか! 楓は俺の恩人だもん」
彩音「恩人?」
虎太郎「野良猫を保護してたら引っかかれて、シャツも血まみれになってさ。困ってたところに楓が絆創膏で手当てしてくれたんだ。あの時は助かったぜ!」
彩音「じゃあ北高の猛獣って……」
虎太郎「なにそれ?」
楓「うちの学校での、お前のあだ名」
虎太郎「マジかよ! そんなかっこいいあだ名で呼ばれてんのか俺」

照れている虎太郎。とても悪い人には見えなくて拍子抜け。

虎太郎「改めて、俺、佐野虎太郎。きみは?」
彩音「えっと、神崎彩音です。楓の――」
楓「婚約者」

さらっと言ってのける楓。途端に顔をきゅるんと輝かせる虎太郎。

虎太郎「えーっ、まじかよ! 少女漫画じゃん!」
楓「うんそう、俺の『理想の婚約者』」

にやにやとこっちを見てくる楓。はっとして外面モードに切り替える彩音。

彩音「楓がいつもお世話になってます。他校にもお友達がいるなんて安心しました」

キラキラの笑顔で軽く頭を下げる。
ぽかんとしている虎太郎。はっとして楓に耳打ち。

虎太郎「めちゃくちゃいい子じゃん。羨ましいわ」

微かに聞こえてきた彩音はガッツポーズ。

彩音(より、理想の婚約者モード遂行!)
彩音「じゃあ、私はこれで」

去ろうとすると腕を掴まれる。

楓「別にまだいればいいじゃん」

楓はなにかを企んでいるにやにや顔。

楓「いいよな?」
虎太郎「もちろん! むしろもっと話聞かせてくれよ!」

顔をキラキラさせている虎太郎。

彩音(意外と恋バナ好き!?)
虎太郎「婚約って小さいときから約束してたとか? それとも親が決めたりすんの?」
彩音「うん、親同士が決めたものだよ」
楓「……」

なにか言いたげに彩音を見る楓。しかし彩音は気づかない。

虎太郎「学校ではそういうのって隠してんの?」
彩音「いやみんな知ってる……」
虎太郎「公認!? すっげー。たしか楓って名門私立だもんな。そういうの普通にあるんだ。俺その辺の公立だからさ」
彩音「普通ではないかな……」
楓「夫婦って呼ばれてる」

急に会話に入ってくる楓。

楓「彩音が俺のあとくっついてまわるから」
彩音(なっ!?)

反論したいけど外面モードなので、こめかみに青筋を浮かべつつ耐える。

彩音「そ、そうなの、楓ってば見てないといなくなっちゃうから心配で」
虎太郎「愛されてるな、楓。あ、そうだ。じゃあちょうどいいや」

虎太郎がポケットから映画のチケットを二枚取り出して楓にあげる。

楓「これ、こないだのお礼。二人で見に行けばいいじゃん!」

映画はラブストーリー。いかにもな大人っぽいデート映画。

楓「なんでこんなの持ってんの?」
虎太郎「バイト先で何枚かもらったんだよ。面白そうだろ」
楓「全然」
虎太郎「まじかよ! 絶対泣けると思うんだけどなあ」
彩音(たしかに楓は好きじゃなさそう……)
彩音(むしろ樹くんのほうが……)

自分と樹が映画デートをしているところを想像してしまう。妄想の樹は優しくハンカチを差し出している。

彩音(きゃー!)

一人ひたっている彩音を冷めた目で見つめる楓。


○最寄りの駅前(放課後)

彩音「じゃあ私、こっちだから」

去ろうとする彩音に着いてくる楓。

彩音「なに?」
楓「さっきのチケットほしい?」
彩音「ほ、ほしい」

反射的に答える彩音。

楓「あげてもいいけど」
彩音「本当!?」
楓「ただし条件がある」

にやっと笑う楓。


○彩音の自室(放課後)

楓「綺麗にしてんじゃん」
彩音(なんでチケットをくれる条件が、私の部屋に行くことなの……!)

イライラしている彩音をよそに、部屋を眺め回す楓。

彩音「あ、あんまり見ないで欲しいんだけど……」
楓「なんで」
彩音「面白いものとか別にないから」

お構いなしに楓は本棚を隠す布を捲る。

彩音「ちょっと!」

そこには行政書士試験の教科書や過去問がびっしり。

楓「真面目に勉強してんだな」
彩音「関係ないでしょ」

ふいっとそっぽを向く彩音。

楓「在学中に資格取れそうなのか?」
彩音「このままちゃんと勉強続ければね。もういいでしょ」

いい加減やめさせようと思って楓に近づく。

楓「お、これ小学校の卒業アルバム?」
彩音「わぁっ!? だめだってば!!」

取り返そうと手を伸ばして体勢を崩す。
どんっ、と鈍い音がして気づいたら床に倒れている彩音。

楓「っ、ぶねー」

少し焦った様子の楓が彩音の頭をガードしてぶつかるのを防いでくれていた。
しかし体勢は楓が彩音に覆い被さる、いわゆる床ドン。

楓「大丈夫か?」

間近に楓の綺麗な顔がある。
倒れた驚きも相まって呆然としたままの彩音。

楓「彩音、おい――」

そのとき、階段を上がってくる音が。

実咲「お姉ちゃん? 大丈夫?」

はっとなる彩音。

彩音(実咲……!)
彩音(どうしよう、こんなところ見られるわけには……!)

ドアノブが回りかける。

楓「ちょっと待ってくれる? 今、虫を退治してるから」
実咲「えっ」

ドアの向こうで怖がったような声。ドアノブは元の位置に戻る。
楓は彩音の上から退く。
目配せされ、彩音はさっとスカートとかを直す。

楓「うん、これで大丈夫。入っていいよ」

ゆっくり扉が開く。

実咲「虫? お姉ちゃん、大丈夫?」

顔を覗かせたのは、セーラー服の女の子。下校してきた、彩音の妹で中一の実咲。

楓「大丈夫だよ、窓から逃がしたから。うるさくして悪いね」
実咲「あっ、楓さんだ。こんにちは」
楓「こんにちは、実咲ちゃんの学校セーラー服なんだね。よく似合ってるじゃん」
実咲「本当? えへへ」

楓はいつもの態度が嘘のように愛想がいい。

実咲「じゃあごゆっくり」

実咲は去って行く。

楓「実咲ちゃんもう中学生か。そりゃそうか。俺たちが高校生なんだから。三歳下だっけ」
彩音「うん……」

安堵のため息を漏らす彩音。

彩音(良かった、変なところみられなくて……)
彩音「楓、その、ありがとう」
楓「ん?」
彩音「実咲の前でちゃんとしてくれて」
楓「別に。お前がそうして欲しそうだったから」
彩音「うん、家族にだらしないところとか見せられないもん。心配させたくないし」
楓「遠慮しすぎだろ。向こうはそんなに気にしてねえよ」
彩音(そうなのかな……わかんないよ……)

暗い顔をする彩音。

彩音〈私の両親は10歳のときに交通事故で亡くなった〉
彩音〈当時お父さんと一緒に神崎製菓に勤めていた叔父さんが私を引き取ってくれた〉
彩音〈兄の子供ってだけで押しつけられてどう思ったんだろう〉
彩音〈みんな表面上は優しい。でも本当はなにを考えているかなんてわからない〉
彩音〈実咲だって、本当なら両親の愛情を独り占めできたはずなのに〉
彩音〈だから私はちゃんとしなくちゃ〉
彩音〈資格を取って自立して〉
彩音〈無駄遣いもしないで〉
彩音〈楓に理想の婚約者をやれって言われたとき、簡単だと思った〉
彩音〈だって普段から私は優等生が板についているんだもん〉

楓がすっとチケットを差し出してくる。

楓「欲しいならやるけど」
彩音「あ、ありが――」

取ろうとするとさっとかわされる。

楓「でも……やめとけば」
彩音「なんで? わかってるよ。私なんかじゃ相手にされないってことくらい。でも映画に誘うくらいいいでしょ?」
楓「……」

まだなにか言いたげな楓。
強引にチケットを取る彩音。

彩音「約束だからもらう。……断られたら、私のこと笑えばいいよ」


○学校・空き教室前(放課後)

彩音「樹くん!」

練習を終えた樹を呼び止める彩音。

樹「彩音ちゃん、どうしたの」
彩音「えっと……『残響の約束』って映画知ってる?」
樹「知ってるよ! 公開中のだよね? あの音響監督、前からファンなんだ」
彩音「本当!? も、もう見に行った?」
樹「ううん、まだ」
彩音「じゃあ――」
樹「今度彼女と行く予定なんだ」

笑顔のまま固まってしまう彩音。

樹「彩音ちゃん?」
彩音「……あ、う、ううん。お、面白いといいね」
樹「そうだね。彩音ちゃんも興味があるの? お互い観たら感想言い合おうか」
彩音「うん……」

もう樹の言葉が耳に入らない。


○学校・廊下(放課後)

人気のない廊下を呆然として歩く彩音。
手には渡せなかったチケットが握られている。

楓「彩音」

振り返るとそこには楓が。

彩音「知ってたんだね、樹くんに恋人がいるって。そりゃあいるよね、あんなに素敵な人だもん」
彩音「馬鹿みたいでしょ? 笑っていいよ」

力なく自嘲する彩音を突然抱きしめる楓。

彩音「なっ」
楓「笑うわけない」
彩音「か、楓?」
楓「樹のこと、言うべきかずっと迷ってた。結局いつ言ってもお前が傷つくだけだから」

抱きしめられながら彩音は戸惑っている。

楓「俺なら、お前にあんな顔させない」
楓「俺にしとけよ」
彩音(え……?)
彩音(それってどういう意味――?)

切なそうに言う楓。
戸惑う彩音。