友達オーディション

相手はただの転校生で、いい子だし、なにも問題はないはずだ。
ただ……椎名の笑顔を思い出すと背筋が寒くなる。

作り物の笑顔。
氷の微笑み。
そんなふうに感じられてしまう。
「そ、そんなことないし」

結局中途半端に話を終わらせて、私は自分の席へと戻ったのだった。
☆☆☆

「転校生と仲良くなった?」

夕飯の席で不意に母親からそんな質問が飛んできて、あやうくご飯を喉につまらせてしまいそうになった。

慌ててお茶で流し込んで「どうしたの急に」と答える。
「あら、別に急じゃないわよ? 転校生が来たって話は聞いてたし、気になっただけ」

確かに、そうなのかもしれない。
母親は質問してからも視線をテレビへ向けているし、大した疑問でもないのだろう。
「私より、千佳の方が仲良くなってる感じ」

「あら、そうなの?」
意外だったのか、母親の視線がこちらへ向いた。
「千佳ちゃんって一度家に来たことがある子かい?」

父親が記憶を手繰り寄せて質問してくる。
1度、父親が家にいる日曜日に千佳が遊びにきたことがある。
「うん、そうだよ」
「それなら奈美だって転校生の椎名ちゃんと仲良くなれるわよ」
「そうだな。大丈夫だろう」

どうやら両親は私が千佳と離れてしまうんじゃないかと心配しているみたいだ。
その心配は当たっているので、なにも言えなかった。

千佳だけじゃない、直樹もしのぶも英明も、最近では休憩時間のたびに椎名のもとへ向かう。
それが心の中にひっかかっていることは事実だった。

嫉妬心かもと思ったが、それとも少し違う。
まるで畏怖にも近い感情が胸の奥底に存在しているんだ。

私は残りのご飯をすべて口の中に押し込んでお茶で流し込むと「ごちそうさま」と早口に言って自分の部屋へと戻ったのだった。
今日も千佳は約束時間に来なかった。
10分経過しても千佳が来ないときには構わず学校へ向かう、ということをここ数日間していた。

それでも約束通りにコンビニへ来てしまうのはどうしてなのか。
自分にもよくわからなかった。
2年A組の教室へ向かうにつれて両足が重たくなる。

教室に入りたくないという気持ちが日に日に強くなってきて、今ではドアの前で一呼吸置かないと教室に入れなくなっていた。

イジメられているわけじゃない。
友達との関係がこじれたわけでもない。

ただ……。
ドアを開けると今日もすでに椎名の机の周りにはクラスメートたちが集まってきていた。
明るい笑い声に満たされた教室内は明るくて健全だ。
その中にほのかに混ざる甘い匂いは、椎名の香水の香り。
私が自分のせきに到着するまでにメマイを感じてフラついてしまった。

近くの机に手を付いて体を支え、呼吸を整えてまた歩き出す。
椎名がつけている香水が合わないのが原因なのだろうとわかっているが、それを本人に伝えることはできない。

椎名はきっと傷ついた顔をするだろうし、周りから非難を受けるかもしれないから。
フラフラした足取りで自分の席にたどりついて座ると、「あぁ、喉が乾いたなぁ」と、椎名の呟く声が聞こえてきた。

それは会話のひとつではなく、なんとなくポロッと出た言葉。
誰にでもある独り言で、誰も気に止めない一言。

「私なにか飲み物買ってくるよ」
椎名の独り言に反応したのは春美だった。
すぐに自分の席へ戻り、カバンから財布を取り出している。
「そんなのいいよ。自販機くらい自分で行くから」

椎名が立ち上がろうとするのを制してまで、春美が頑なに自分で行くと言い張っている。
「じゃあ一緒に行く」

「椎名はここで待ってて。なにが飲みたい?」
「お茶がいいけど……本当にいいの?」

「もちろん。まかせて!」
春美は胸を張ってそう言うと1人で教室を出ていってしまった。

その足取りはスキップするように軽い。

なんだか妙な気がして椎名へ視線を向けると「飲み物くらい自分で買いに行けるのに」と、申し訳なさそうな顔をしている。
やっぱり、椎名には悪気がないみたいだ。
春美が過剰反応して自分で動いただけ。
「おまたせ! お茶、何種類かあったから全部買ってきたよ!」

春美が両手いっぱいのお茶を持って戻ってきたのを見て椎名が声を上げて笑う。
「春美ちゃん、私そんなに沢山飲めないよ。みんなにも配ってあげて?」

そう言われた春美は素直に他の生徒たちにお茶を配り始めた。
離れていた私のところまでやってきて「はい、どうぞ」と、パックの小さなお茶を手渡してきた。

「え、いいのに」
「いいのいいの。椎名が分けてあげてっていうんだから、そうしなきゃいけないの」

「え?」
それってどういうこと?

と、聞き返そうとしたけれど、春美はすぐに輪の中に戻っていってしまった。
私は複雑な心境でパックのお茶を見つめたのだった。
☆☆☆

数学の授業を受けている最中に前の席の重人のシャーペンが机の端から転がって落ちた。
青色のシャーペンは床に落ちてコロコロと少し転がり、通路の真ん中で止まる。

席を立たなくても手を伸ばせば届く位置にあるけれど、重人は一向にシャーペンを取ろうとしない。
「重人、シャーペン落ちたよ」
気がついていないのだろうと思って後から声をかけても返答はない。

ジッと見てみると重人の頭が下へ向いてたれていることに気がついた。
勉強熱心な重人が居眠り?

と思って背中をトンッと叩くと、「わぁ!」と声をあげて飛び上がってしまった。
本当に眠っていたんだろうか、驚いた様子で教室内を見回している。

「どうしたんですか?」
気難しそうなメガネをかけた数学の女性教師が重人を見てムッとした表情を浮かべる。

自分の授業を中断されたことが嫌なのだろう。
そこに生徒を心配する様子は見られなかった。
「い、いえ、なんでもないです」
重人はそう言うとそのままストンッと座ってしまった。

シャーペンはまだ床に転がったままだ。
「重人大丈夫? さっきシャーペンが落ちたよ?」

「え? シャーペンって?」
振り返って質問してくる重人の目はトロンと重たそうだ。

「そんなに眠いの? 珍しいね?」
「僕は眠くなんかないよ。別に、平気」

口の中でブツブツと呟いて前を向いてしまう。
なんだか様子が変だ。

結局シャーペンは拾われないままだし。
あのまま放置していたら休憩時間になったとき、誰かが踏んで壊してしまうかもしれない。

そう思った私は音を立てないように席を立ち、身を屈めて重人のシャーペンを拾った。
「はい」