男主人公が私(モブ令嬢)の作る香水に食いつきました

「いや、それは例えだ。意中の相手がいるというよりも、気になる人が現れた時の備えとしてだな」
「えっ? それ、いります?」

 思わず口に出して言っちゃった。慌てて口元に手を当てて、今度は私が「コホン」と喉を鳴らした。
 だって、レオンがそんな香りをつけた日には、ハイエナのような令嬢がこぞってやってくる決まってるじゃん。
 それでなくとも、女性と関わるのが嫌でパーティも避けてるくせに。カモが自らネギ背負ってどーすんの⁉

「侯爵様でしたら、その必要はないかと思いますが。そんな催淫効果のある香水など求めなくとも、女性に不自由をしていらっしゃらないのでは……?」

 むしろ女性を煙たがるキャラのはずなのに、なぜこんなキャラ崩壊のような事を?
 思わず鼻血噴き出しを抑える為の左手を鼻から引きはがし、ズイッと体が前のめりになる。

「女性に不自由しているという話ではなく、今後のための保険として欲しいのだ」

 レオンの青い瞳は、気まずそうに私から視線を逸らし、部屋の中にさ迷った。
 だけど私は恥も照れも捨て去り、レオンの視線の先を追うように顔を動かした。

「それは何のための保険なのでしょうか?」

 だからそれ、いるの? レオンに落ちない女性なんていないでしょ?
 レオンの相手役であるマリーゴールドだって、レオンを一目見た瞬間に、胸がドキドキ高鳴るように描いたし。

 そもそもレオンとマリーゴールドの出会いは、あるパーティでキールに言い寄られていたマリーゴールドをドラマチックに助けるのがはじまりだ。
 乙女が恋に落ちるにはバッチリなシチュエーションにして、ハラハラドキドキ、まるでジェットコースターに乗ってる時のような感覚を読者にも与えるように描き上げた、私の注力したワンシーン。
 だからレオンは何も心配せず、その身ひとつでマリーゴールドに会えばいいのだけど……まぁ、本人はそんな事知る由もないわよね。

「ではこうしよう。トリニダード令嬢が作ったその香水を作るのならば、私が金銭的な支援をしよう。媚薬効果のある香水として売り出せば、話題性も高く、買い手も多いと思うのだが?」
「それは……」

 悪くない話だ。
 でも支援してまで、その媚薬香水が欲しいの? なんで?
 ビジネスにシフトを合せて話をしてるけど、結局は自分も手に入れたいからでしょ? 先にそういう話をしちゃってるんだから、そこは否定できないわよ?

 疑問が脳裏をよぎるけれど、レオンが支援してくれるのなら信用はできる。
 しかもキールから邪魔が入ったとしても、パトロンがレオンだと分かれば、むやみやたらに手は出せないはず。
 肩書きこそレオンはキールよりも下にあたるが、レオンは帝国一とも呼べる騎士。手柄もたくさんあげている。
 その上バービリオン侯爵家はコーデリア公爵家よりも家柄は古い。
 帝国内では由緒正しい数少ない家柄とも言える。

「どうだ? これでも納得できないのならば、さっき言っていたお詫びとやらを、ここで使わせてもらってもいいが」

 ああ、ダメ押し。
 私は静かに首を縦に振った。

「……わかりました。では、キチンと書面にて契約を結びましょう」

 こうして私とレオンの間に、おかしなビジネスの関係が結ばれた。

 あの後無事にレオンと書面にて契約を交付した。

 取り分は7:3の割合で、7割を私が、残りの3割をレオンに渡すという条件だけど、材料費や機材、必要なものはレオン側が出資してくれる。
 私がゆくゆくはショップを構えたいという考えを伝えると、その自立支援としてのコストもレオン持ちで用意してくれるという話になり……正直相手がレオンでなければ胡散臭いとしか思えない条件だった。

 騎士であり、仕事もできる敏腕な彼だからこそビジネスパートナーとして契約したのだけど、正直好条件すぎて疑問だらけだ。
 私はレオンが騎士としての様子はマンガ内で描いても、その他の仕事事情はほぼ描かなかった。レオンは全てにおいて完璧な私の理想を詰め込んだから、多方面において手腕を発揮できる人物だということは間違いないんだけど。

 問題はどうして私をここまで助けようとしてくれるのか。理由は分かってる。私の作る香水が欲しいから。それも喉から手が出そうなほど切望してるという事も。
 だからこそこの契約の中で彼が一番優先させたい条件としたのは、レオンが欲しがれば私は出来る限り優先度を上げて彼個人用の香水を作る事。
 そして媚薬効果のある香水の販売価格は高値に設定し、流通経路はレオンに任せるとの事だった。
 要は媚薬香水の主導権を掌握たいという事だ。私としては他の香水で事業展開していければいいから、別に構わない。
 私の疑問は、なぜ彼がそんなにまでして媚薬香水を得たいと思っているのかだ。

 彼の先見の明?
 香水事業が発展する見込みが大きいから、一口噛んでおきたいって事?
 いいや、それはない。香水自体はこの世界にごまんとある。
 ただ私はそんな香水ではなく、アロマに特化して芳香療法を行っていきたいのと、もっと個人に合わせて、その人だけの特別な香りを作りたいから、そこが他とは違う。その分価格も高く設定していくつもりだ。
 ここはレオンと意見が一致したところね。

 でもその話は契約を結ぶ時に話しただけだから、ビジネスパートナーを希望した時は知らなかったはずだし。
 そもそもバービリオン侯爵家も資産家だ。歴代の侯爵からレオンまで皆頭が切れるから、ビジネスのやりくりも上手い。
 その上レオンは帝国一と言われるほどの騎士。皇帝からの寵愛や信頼と共に、遠征で得た報酬もかなりのものだ。
 そこまで考えた時に、ふとある疑問が頭を過った。

「はっ、もしかして……」

 レオンってば、マリーゴールド以外に好きな女性ができたって事?
 いや、催淫効果のある香水を欲しがっている地点で、その気はあるんだけど。でもまさかレオンに限ってっていう考えが私をその答えへと導かなかった。
 今後のためにとか言ってたけど、レオンに限ってそれはない。そんなものを必要とするキャラじゃない。
 ならどういう事? マリーゴールドに出会う前に、気になる人がいるの? 私が知らない裏設定ってやつ?
 いやいや、あの堅物にそんな気はなかったはずだけど……。


 頭の中で自分の描いたマンガのページをペラペラとめくる。
 夜会に出ても女性との関わりをなるべく避け、話しかけられてもそっけない態度、ダンスの申し込みなんてもってのほか……なレオン・ベイリー・バービリオン。
 そんな彼が興味を惹く女性がマリーゴールド以外にいるはずがない。
 だったらマンガの設定より先に、マリーゴールドとどこかで会ったと考える方が筋が通るかも。

 でもどこで? その発想は大筋のストーリーがズレることを示唆する。
 悶々と考えていた時、ノックもせず勢いよく扉を開けて入ってきたのは、リーチェの父親マルコフ・ロセ・トリニダード男爵閣下だ。

「リーチェ、聞いたぞ! あのバービリオン侯爵とビジネスパートナーを組んだそうだな!」

 ㇵの字型のチョビ髭を携え、髪型は7:3でキッチリ分け、ポマードで塗り固められた髪はちょっとやそっとの風では靡かない。
 背は決して高い方ではないけれど、一代でトリニダード家を築き、男爵の称号を得た男なだけあって、威厳となるオーラを放っている。
 そのオーラが彼を大きく見せているという風に描いたが、現実世界であるこの世界では本当にその通りに見える。


「さすがは我が娘。あの堅物で有名な侯爵と関わっただけではなく、ビジネスまで起こすとはな。パパは実に誇らしいぞ!」

 マルコフこそ、さすがは商人。
 レオンと契約したのは昨日の夜の話なのに、今朝にはもう情報が耳に入ってるのだから。娘の私はまだ、報告すらしてないというのに。

「パパ、喜んでくれるのは嬉しいけれど、年頃の女性の部屋に入る時はノックくらいしてください」
「すまない! あまりに喜ばしい事案だったものでな!」

 ビジネスパートナーになったというだけなのに、マルコフのこの喜び方はまるで私がレオンと婚姻を結んだかのように見える。
 いいや、貪欲なマルコフの事だ。きっとここから徐々に娘を侯爵家に嫁がせる算段を練るつもりだっていうのが丸わかりだ。

 残念ながらそうならないのが、私のポジションだというのに。
 彼が下手な真似をしてレオンを刺激しないようにしなければ。
 せっかくの好条件で、今のところ良好な関係でいるのだから、この関係に不用意な亀裂が入ることは避けたいところだ。

 だったら先に、釘を打っておかなくちゃ。

「パパ。これは私がはじめて自分で興した事業なのですよ。これがどれだけ大変な事か、事業主としてパパなら分かってもらえますよね?」
「ああ我が愛しの娘よ。もちろんだとも」

 これは間違いなく、分かってないわね。
 がははっと大口開けて下品に笑うこの感じは、全然真剣に私の話を取り合ってない証拠だ。

 まぁ、マルコフは私がビジネスを興して成功する事よりも、力のある爵位を持つ貴族の誰かと結婚することの方が喜ばしいもんね。
 そもそもお金ならマルコフの事業で十分あるし、むしろ私が仕事なんてして殿方が嫌煙しないかどうかの方が心配なんでしょうけど。
 なにせこの世界は女性は大人しく家の中にひきこもってる方が美徳とされた、古き良き時代と言われた日本と同じ思想を持ってるから。

「でしたらパパは何もせず、ただ黙ってこのビジネスが上手くいくことだけを願っていてください。決してバービリオン侯爵様との仲を拗らせるような事はなさらないで下さいませ」
「もちろんだとも!」
「決して縁談を結ぼうだなんて事も、考えないと約束してくださいますか?」

 ハッキリと言っておかなければ、マルコフは間違いなく自分の利益を勘定して私の邪魔をするはずだ。
 商人で、成り上がりの貴族なだけあって、遠回しな言葉では彼には届かない。ストレートに伝えたところで届くわけもないけど、キチンと承諾を取っておくのは悪くない。

 なんなら書面でも交わしておくべき?
 相手は父親とはいえ商人なんだし、それくらいしてもいいかもね。
 むしろそれを拒否った時の態度で、マルコフがどう考えているのかわかるかもしれないし。

「いいや、ビジネスパートナー兼旦那だなんて響きがいいとは思わないか?」

 ……こら、そもそも隠す気もないのか!
 ガハガハと大口を開けて笑う様子に、不快度数がグングン急上昇していく。
 こんなことならマルコフの口を小さなおちょぼ口で描いてやるんだった。
 そしたらこんな状況下でも笑いが込み上げてきてイライラも抑えられたでしょうにっ!

「パパ、私はそんな風には思いません。むしろそんな事をすれば、せっかくの私の取り分が全てバービリオン侯爵様に入ることになるじゃないですか」

 せっかく人が締結させた契約の取り分であり、あんたのそのヘンテコリンな髪型と同じ7:3配分が私個人に入ってこなくなるのは面白くない。
 働き蜂のように働いてお給料がちゃんともらえないなんて、どブラック企業じゃない。

「何を言っておる。その侯爵家の資産もお前の一部になるではないか。むしろそんな事業で稼ぐお金の何倍もの資産ををお前は得ることになる。働かなくても済むのだぞ?」

 それは夢のような話だわ。
 だけど、相手がどこぞの資産家の侯爵家の子息だったらの話で、レオンじゃなければっていう条件がついてくるけどね。
 誰が物語のヒーローを落とそうなんて思うもんですか。レオンの相手はマリーゴールドって決まってるんだから。これは運命なのよ。

「パパ、私ならばきっと、もっと他に良い縁談を結ぶことができます。せっかくできたバービリオン侯爵家とのコネクションなのですよ? あの女性嫌いの侯爵様を縁談などという話を仄めかして、気分を害されるのは私としては遺憾です」
「ほう? ではなにか、リーチェにはバービリオン侯爵家以上の縁談を得る確証があるというのだな?」

 ニヤリとほくそ笑むマルコフの様子に私は、必死になって表情を崩さないように努めた。
 ……そんなの、嘘に決まってるじゃない。レオン以上の縁談なんて、かなり絞られるわけだし。全くもって口から出まかせだ。

「確証があるわけでは……ありません」

 考えろ、考えろ。
 誰か一人くらいいるんじゃない? 私でも攻略できそうな、人物が。
 私が作った世界観で、私はいわば神の様な存在じゃない。主要な登場人物も、この先に起きるであろう出来事もマンガを通して知ってるんだから。

「ではそれが誰なのか、言ってみなさい」
「そっ、それは……」

 皇帝陛下とか言っちゃう?
 ……いっ、いやいや。落ち着け。陛下は満70歳のおじいちゃんじゃん。それはいろんな意味でも無理だし。
 だったら陛下の息子である皇子達なら?
 ……うーん、皇子とはさすがに現実味がなさすぎて、マルコフにバレてしまうかも。
 まだ一度も皇室からの夜会には参加していないのだし、今の私には接点がなさすぎる。
 かといってマルコフと接点がある貴族もダメだ。私が嘘をついてるのがバレてしまう。
 嘘だとバレない程度の距離感で、かつ上位貴族だったら……。

「今朝届いたこの、お前宛てに届いた手紙の相手……ではないか?」

 そう言って背中に隠していた手をスッと顔の高さまで持ち上げた。
 マルコフの手に握られていたのは、真っ白な便箋と、赤い封蝋。
 その封蝋には貴族の家紋の印を押されているが、この距離からではどこの家紋なのかがよく見えない。