辺りには人気がない。そしてすぐ近くには、貴族が休憩できるようにと空き部屋が用意されている。
 どこのお屋敷にも空き部屋はたくさんある。
 こんなセリフが出るくらいだから、きっと近くの部屋が空いているということも調査済みなのではないだろうか。
 だからこそキールはこの場で私に迫ったんだと思う。
 そういうところは本当に抜け目がない。
 というか、ゲスい。

 そうこうしている間にもキールの顔がどんどん迫ってくる。
 吐息が私の鼻先に触れたとき、無駄だと思いながらも私は最後の悪あがきで手に力を込める。
 すると私の腕を掴むキールの手にも力がこめられた。
 ピクリともしないどころか、まるで腕をへし折るつもりなんじゃないかと思えるほどの強さに、腕の痛みよりもこの状況にゾッとする。

 平面で原稿上にしか存在しないキャラクター達が、立体になり、形になり、言葉を発し、私を力で押さえつけようとしているこの状況になるまで、どこか他人事だったということに、その時やっと気がついた。

 顔はイケメンだけど……そもそも私、俺様って死ぬほど嫌いなんだった。
 それを思い出すと頭に上っていた熱が一気に下がり、固まっていた口が開いた。

「だっ、誰か――っ」

 蚊の鳴く様なか細い自分の声に、無力感を感じる。思った以上に、この状況に恐怖を感じていたことに驚きつつ、顔を逸らしながらギュッと目を閉じた。