夏休みも終わり、徐々に外気が秋めいてくると、冷たい麦茶よりも温かいお茶やコーヒーが魅力的に思えてくる。
 すると、進路委員が当番制で茶を淹れてくれるようになる。
 その中でも河野の淹れるお茶はダントツでうまい。

 小さな体で大きな土瓶を器用に取り回し、教師の湯呑の区別も誰より早かったこともあり、ほかにも河野の茶のファンはいたようだ。
 「河野はいい嫁さんになるな」と、社会科の大塚という定年間際の教師にからかわれても、「最近はそういう発言もセクハラになるそうですから、私以外には言わない方がいいですよ」と返していた。

 いい嫁さん云々はともかくとして、割と社会に出てそつなくやっていけそうなタイプだなと俺は思った。
 自分が担任を持っている生徒が他の教師からも高評価なのをうれしく思うというのはもちろんあるのだが、「どうも俺は河野ばかり見ているな」と自覚し、苦笑いしてしまう。

◇◇◇

 河野は学校でも男女問わず人気のある生徒だ。
 だが、そういう女子というのは、なぜか一部層の反感を買うことも多い。
 私感だが、男子だとそうでもない気がする。女子の人間関係は、俺の理解より繊細なものなんだろう。

 地味な男子部員が多いクイズサークルに所属しているせいもあり、よく思わない生徒からは、「ヲタサーの姫」などと陰口をたたかれることもあるようだが、「私スポーツ関係はベタ問(よく知られた定番問題)すら覚えられないから、部ではポンコツ扱いですよ」ともけろっとして笑っていた。

 また、どんな高スペックの男子に告白されても断るのを「陰キャのクセに」「あの程度の顔でお高くとまっている」と表現されたりしているようだ。

 あの程度の顔で、と言う生徒のご面相については、気の毒なので論じないでおく。世にいう「画伯系」の画力しか持たない凡人が、フェルメールやラファエロの絵にケチをつけるのも別に自由だからな。

◇◇◇

 ある日、教室に居残りをしていた女生徒数人が、「4組のババアみたいな名前の女」のうわさをしていた。
 それを河野のうわさ話だと察し、立ち聞きしてしまった俺も俺だが、こんな感じだった。

「告られたらいつも「好きな人がいるんです」って断るって」
「それ知ってる。でも一回振られてんでしょ?」
「えー、ストーカーとかになるんじゃない?こわーい」
「大体、立花(たちばな)とか古澤(ふるさわ)とかに告られてなびかないとか、何様だっての」
「なー」

 立花も古澤も、運動部の花形選手で、顔立ちも女子受けしそうなタイプではあるが、それが河野の好みでないなら断るのは当たり前だろうに、理不尽な話だ。

「しかも桐本とホテルしけこんだとかってうわさじゃん。一応誤解ってことにはされたみたいだけど」
「いやあ、案外本当にヤってんじゃないの?結構ひいきしてるっぽいし」
「ウチ桐本って嫌い。顔は悪くないけど、すっごいイヤミだしさ」
「すかした者同士、お似合いかもね」

 俺の名前が出たところで、ご本人登場のノリで、「君たち、もう遅いから、そろそろ帰った方がいいぞ」と、教室の後ろから声をかけたときの連中の顔は、なかなか見ものだった。

 なるほど。俺と河野の悪いうわさは、こういう悪意から生まれたものなのだろう、きっと。
 こんな連中の悪意で、あの可憐で聡明な河野が傷つくのはしのびない。
 俺が守ってやらなくては…などと思ったが、あまり露骨なえこひいきもできないし、そもそも河野には好きな男がいるようだ。

 最低でも卒業までのあと数カ月、俺は気持ちを抑え込まなくてはならない。

◇◇◇

 河野は東京の女子短大の国文科を推薦受験することになっている。
 成績でいえばもっと難関をねらえるし、そもそも短大では年数的に物足りないのでは?と、二者面談の際に言ってみた。

「私がなりたいものになるには、四大(よんだい)は長過ぎるんです」
「そんな職業あるのか?具体的に…」
「いえ、それだけは、いくら先生でも言えません」
「そうか…?」

 本人の希望ならば仕方がない。
 それこそ「なぜ立花や古澤と付き合わないんだ?」と問うようなもので、余計なお世話というやつだろう。