俺は河野の短大入学の後、改めて彼女の家に挨拶に行った。
 河野に目元がそっくりの母親が、「なーんかこんな日が来るような気がしていたのよねー」と、明るい調子で歓迎してくれたので、一気に気が楽になった。
 父親の方は、「どこか先生に似ている気がします」と聞いていたが――失礼ながら、俺はもう少し愛想がいいだろうと思った。
 ただ、飄々とした語り口で知性もあり、こんなふうに年を取りたいと思える男性ではある。

 今はさすがに「さつき」と呼んでいるが、彼女は俺のことを「先生」と呼び続けている。
「もうちょっとこう、何とかならないか?」と言ったら、「じゃ、ソウちゃん?」とからかい口調で言われたので、「…先生でいい」と引っ込めた。
 それでも真面目な話のときは、「宗輔(そうすけ)さん」ときちんと呼んでくれる。そんなめりはりがうれしい。

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 五月は短大を卒業後、市の職員になった。
 俺はちょうど同じ頃、F総合高校から別な学校に異動になったので、そのタイミングで結婚することになった。
 隣市の高校だが、新居からは車で10分程度だし、公共交通の便も悪くない。五月の実家からも近すぎず遠すぎずのいい距離だ。

 新任にもかかわらず、新聞部が自宅に取材に来たいというので、五月と相談して承諾した。
 どうやら俺が新婚だということを聞きつけたらしい。
 当然なれそめなど聞かれたりするわけだが、俺が適当にはぐらかそうとしたら、五月が
「高校を卒業してから、私から告白しました。
 好きだと思ったから、早いとこ手を打たなきゃ
 誰かにとられると思って」
 などと堂々と言うものだから、記事の見出しには「桐本宗輔先生(国語科) 奥様は“肉食系美人”」の文字が踊っていた。
 ただ、このお宅訪問記事のおかげで、俺が殊のほか早く新しい学校に溶け込めたことも間違いない。

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 俺の30歳の誕生祝いの場で、五月が「宗輔さんは、来年の1月にはパパになりますよ」と恥ずかしそうに報告してくれた。
 月並みな表現かもしれないが、それが何よりうれしいプレゼントになった。

 五月が俺を訪ねて学校に来てくれたあの日、もし分別くさいことを言って追い返していたら、今のこの満たされた気持ちを知ることもなかった。

 人間は後悔する生き物だ、なんて利いた風なことを五月に言ったことがあるが、今なら分かる。
 「先々後悔することがあってもいい。今はこの人が欲しい」と思った時点で、全ての後悔は無効化されるのだ。