6話
 
 ◯学校、1ーCの教室。放課後。
 
 教壇のところに黒い蜘蛛。クラスメイトは結城と茜以外倒れ、教室中に蜘蛛の糸が張り巡らされている。
 茜は結城の背に庇われ、恐怖に震えている。

 茜(物心ついた時から、世界は怖いことばかりだった)
 茜(あちこちにいる幽霊は怖い。信じてくれないクラスメイトも、いじわるしてくる子も怖かった)
 茜(今だってすごく怖い……でも)

 茜の手が制汗スプレーをぎゅうっと握り込む。
 茜はもう一度顔を上げるが、恐怖ではなく決心した顔。
 
 茜(大切な人を、救えない方がずっと怖い!)
 
 結城の背から飛び出す茜。
 大切な人は親友英美里だけでなく、結城のことも含んでいる。
 
 結城「茜さんっ!?」
 
 蜘蛛の視線が茜の方を向く。
 その瞬間、茜は蜘蛛に向かって制汗スプレーを噴きかける。
 
 蜘蛛「なにっ……」
 
 スプレーの白い粉で蜘蛛の周囲が白く霞み、蜘蛛が出す糸が茜から逸れる。
 
 茜「結城くん! やって!」
 
 茜は蜘蛛の糸を躱そうとして転んでしまう。
 その際、足首を捻り、ズキッと痛む。
 
 結城「うおおおおおおっ!」
 
 結城の目の色が金色に変わる。蜘蛛に飛びかかり攻撃をして、撃破する。
 蜘蛛が塵になって消え、生徒や坂主から生気を奪っていた蜘蛛の糸も消える。すぐには目を覚まさないが、顔色がよくなる。小林も気絶している。
 
 茜「倒した……?」
 
 教室内で立っているのは結城だけ。背中を丸め、胸を押さえて、はぁはぁと苦しそうに息をしている結城。
 様子がおかしい結城に茜は不思議そうな顔をする。
 
 茜「結城くん……? 痛っ!」
 
 茜は起き上がろうとするが、捻った足首が痛んで起き上がれない。
 
 結城「茜、さん……」
 
 結城は目のあたりを押さえて苦しそうにしている。
 手を外すと、結城の目が金色に光っているのを茜は目撃する。
 
「結城くん、その目……」

 横たわったまま尋ねる茜の姿に、二重写しになったように、巫女装束の茜そっくりな女性が血の中に倒れているのを幻視する結城。
 
 結城「ううぅ……あああ……ッ!」
 
 頭を押さえて苦しむ結城。髪の毛が血のような赤に染まる。金色の目で瞳孔は縦に裂け、手や腕に血管が浮く。さらに爪が伸び、額に二本の角が生えてくる。
 鬼の姿に変貌する結城を茜は青い顔で見ている。
 
 茜「ゆ、結城くん? しっかりして……!」
 茜(──その姿は鬼みたいだった)

 鬼のような結城の姿を見て目を見開く茜。
 
 茜(結城くんは鬼の血が流れているって言っていた)
 茜(もしかして、その姿は鬼の血のせい?)
 
 結城はぶつぶつと何事かを呟いている。
 耳を澄ます茜。
 
 結城「茜さ……に怪我、を……」
 茜「怪我? 足のこれ?」
 
 茜は捻った足首に負担をかけないようゆっくり立ち上がる。
 
 茜「こんなの平気だよ! だから、しっかりして!」
 結城「血が……あんなに……」
 茜(血なんてどこにも……)
 結城「救えなかった……またしても……」
 茜(またしてもって、なんの話? 幻覚を見てるの?)
 
 金色の目に涙を浮かべる結城。
 それを見て胸が切なくなる茜。
 
 茜(幻覚だとしても、結城くんが苦しんでいるのを放っておけない)
 茜「結城くんっ!」
 
 茜は足を引きずり、鬼の姿の結城に抱きつく。
 シャン、と鈴のような音が聞こえる。
 
 茜(結城くんを救うために、誰かが力を貸してくれている気がする)
 茜「しっかりして! ちゃんと私を見て!」
 
 その声に我に返る結城。
 
 結城「あ、茜さん……?」
 茜「ほら、どこにも血なんて出てないでしょ?」
 
 結城、目を見開く。
 スーッと結城の髪や目が戻り、角が消えていく。元の結城に戻っている。
 
 茜「よかった。元に戻ったんだね」
 結城「今のは幻覚だったのか……茜さんが大怪我をして、血まみれに見えて……そうしたら体が熱くなって、タガが外れたみたいな感じになってた」
 茜「え、怪我なんて──あいたっ!」

 茜は足首を捻ったのを思い出す。
 
 結城「茜さんっ?」
 茜「ち、違うよ! これは転んで足首捻ったの!」
 結城「……よかった」
 結城「茜さんって、怖がりなくせに勇気あるっていうか……さっきも急に飛び出して焦った」
 茜「ごめん……」
 結城「いや、俺の方こそジリ貧でやばかったのを、茜さんに助けてもらったし。あの時の茜さん……」
 
 爽やかな笑みを浮かべる結城。ほんの少し頬が赤い。
 
 結城「すげーかっこよかった」
 茜(か、かっこいいのは結城くんの方だよ……!)
 
 気絶しているクラスメイトたちが目が覚ましはじめる。
 
 英美里「何が起きたのぉ……?」
 クラスメイト「いてて……」
 クラスメイト「んん……」
 
 茜は結城に抱きついていたのを思い出して、真っ赤になって飛び退き、足首の痛みのせいでよろめいてしまう。そこを結城に支えられる。
 
 茜「あ、ありがとう……」
 結城「まったく、茜さんからは目が離せないな」

 いつのまにか怖かったはずの結城が全く怖くなくなっているのを自覚する茜。胸がドキドキするのを止められない。
 恥ずかしくなり、慌てて話を変えようとする茜。
 
 茜「え、えっと、みんなは」
 結城「無事みたいだ。坂主先生や、小林先生も」
 茜「よかった……」
 
 ふらふらしながら起き上がる坂主。
 
 坂主「み、みんな、大丈夫か? 動けるやつがいたら、人を呼んできてくれ」
 結城「行ってくる。茜さんは足を怪我してるんだから、そこで大人しく待ってること」
 茜「うん」

 茜(──こうして騒動は一応の解決を迎えた)
 茜(悪霊に生気を吸われ、症状が特にひどかった人も幸いなことに点滴を受けた程度ですぐに元気になった。取り憑かれていた小林先生も、やつれていたけど体に問題はないらしい)
 茜(今回の件は、教室内を閉め切っていたことで一酸化炭素濃度が高まり、それが原因で意識が朦朧としてしまったということに落ち着いたそうだ)
 
 
 
 ◯学校、渡り廊下近くの自動販売機前。
 
 ベンチに座ってジュースを飲む茜と、ベンチの脇に立っている結城。
 
 茜「小林先生、休職することになったんだってね」
 茜(小林が悪霊に取り憑かれていた際の言動は、一酸化炭素中毒による一時的な錯乱だったということになった。でも人の口に戸は立てられない。小林先生がおかしな言動をしていた噂は広がってしまった)
 茜「取り憑かれていただけなのに、可哀想」
 結城「うーん……茜さんにだから言うけど、実は小林のスマホから女生徒の隠し撮り写真がたくさん見つかったんだ。写真自体はごく普通のシーンだったけど、本人に了解を得ない写真撮影は犯罪だから……」
 
 言いにくそうにする結城。
 
 茜「うええ……」
 
 茜は一気に気持ち悪そうな顔になり、鳥肌がたった腕を擦る。
 
 結城「そもそも、悪霊に取り憑かれていたけど、操られているわけじゃなかった。取り憑かれた反発もなかったのは、小林は竹之内がやったことと同じ願望を持っていたからじゃないかな。取り憑かれたことで秘めていた願望が漏れ出したというか……。一応休職ってことになっているけど、復帰は難しいだろうな」
 茜「そっかぁ」
 茜「……でもさ、大きな被害にならなくてよかった。みんな無事だったし」
  
 結城「そうだな。でも、学校内にはまだまだ悪霊がいる。竹之内の悪霊は強力で、あいつが暴れている時は他の悪霊は引っ込んでいたみたいだが、そろそろ騒ぎ出すかもな」
 茜「被害が出る前になんとかしなきゃね」
 結城「ああ。というわけで、茜さん、また俺と一緒に悪霊退治をしてほしい」
 茜「もちろん。だって私は結城くんの餌係だからね!」
 
 茜の脳裏に、笑顔の友人たちが浮かぶ。
 そして結城のことも。
 
 茜(幽霊が怖いことには変わらない。でもみんなを守りたいし、結城くんの色んな笑顔、もっと見てみたい……)
 
 茜が飲み干したジュースの空き缶をゴミ箱に投げる。放物線を描いて綺麗にゴミ箱に入る。
 
 結城「とりあえず次は……美術室で描いた覚えがない女性の絵が浮かぶ……という怪談があるそうだ。絵の女性は日に日に近づいてくるんだと」
 
 茜は結城の話にゾーッと青くなる。
 
 茜「ひいっ、なにそれ……怖いっ!」
 結城「大丈夫。茜さんのことは俺が守るから」
 茜「──うんっ!」

 結城は優しい顔で微笑んでいる。それを見て頬を染めて笑顔で頷く茜。
 
 学校の遠景。窓に見知らぬ少年(かつて茜たちのピンチに声をかけた声の主)が外を眺めている。
 
 第一部終わり。