2話
 
 ◯学校内、廊下。
 
 茜「餌って、囮のこと〜!?」
 
 茜は半泣きになりながら廊下を走っている。
 
 
 
 ◯回想
 犀川学園高等部の校舎は中央に中庭がある口の形になっており、廊下はぐるっと一周できるようになっている。
 結城は茜にその廊下を一周走り、戻ってくるように指示する。
 
 結城「瀬名さんは黒い手を引きつけながら走ってくれ。一周して戻ってきたところで、俺が黒い手を背後から仕留める」
 
 
 
 ◯回想終了
 
 茜(怖い怖い怖い!)
 茜「でも結城くんの方が怖くて嫌って言えなかったぁ……」
 
 走る茜の背後に黒い手が集まってくる。
 
 茜「いやああああぁ! 来たぁああああ!」
 
 茜は泣きながらスピードを上げる。
 
 茜「早く助けてぇえええ!」
 
 しかしいるはずの場所に結城はいない。
 
 茜「ど、どうしてっ?」
 
 黒い手は茜に追いつき、茜の手足を何本もの黒い手で絡め取り、身動きが取れなくする。
 
 茜「いやあっ!」
 
 茜の手足を絡めとっている以外の黒い手が融合し、巨大な黒い手に変わる。巨大な黒い手の中央には目玉。今にも茜に覆いかぶろうとする。
 
 茜「ひいいっ……」
 茜(もうダメ!)
 
 その瞬間、隠れて様子を窺っていた結城が飛び出してくる。
 
 結城「餌(瀬名さん)を掴まえてる間は逃げられねえよな!」
 
 結城、獰猛な笑みを浮かべる。
 
 結城「今度こそ消えろ!」

 結城は右手に力を集め、黒い手の目玉に叩きつける。
 黒い手は霧散して消滅。茜も解放される。
 茜はその場にへたり込む。
 結城がへたり込む茜を見下ろす。
 下から仰ぎ見ることで顔に影がかかり、結城の迫力が増して見える。
 
 茜(ひいいい! 殺されるぅううう!)
 
 結城が怖くて、腰を抜かし、真っ青になる茜。



 ◯学校、渡り廊下近くの自動販売機前(夕方)
 げっそりした顔でベンチに座る茜。そのそばに立つ結城。
 
 結城「落ち着いたか」
 茜「う、うん……」
 
 オレンジジュースのペットボトルを渡されるが、手が震えて蓋を開けられない茜。結城は見かねて茜の手からペットボトルを奪い、蓋を開けてくれる。
 
 茜「あ、ありがと……」
 
 お礼を言い忘れてたと、ハッとする茜。
 
 茜「あの黒い手からも助けてくれてありがとう」
 
 結城、驚いて目を見開く。
 
 結城「俺が怖くないのか?」
 茜「助けてもらったんだし、お礼言うのは当然でしょ」
 茜(てか結城くんのこと元々怖かったし……)
 
 もにょもにょと濁す茜。
 
 結城「……ちゃんと説明しなくて悪かった」
 茜「怖かったけど、ちゃんと倒してくれたし」
 茜「それより、あんなことができるなんて、何者なの?」
 結城「俺は霊感が少し強いだけのただの人間」
 茜「ただの人間にはあんなことできないよぉ……」
 
 茜は黒い手を退治する結城の姿を思い出す。
 結城は困ったように頭をかく。
 
 結城「本当に普通の人間だって。ただ、うちの先祖に鬼の血が混じってるらしい。それで俺みたいな悪霊を退治できる力を持つ人間がたまに生まれるんだとか」
 茜「お、鬼?」
 結城「さあ、ただの伝説だろ」
 茜「そ、そっか」
 結城「瀬名さんも見えるってことは、そういう血筋なんじゃないのか。隣町に瀬名神社っていう名前の神社があったと思うけど」
 茜「う、うん。私の実家。おじいちゃんが神主やってるの。だから敷地内は幽霊もいなくて安心なんだけど」
 結城「へえ、やっぱりな」
 
 茜、自信なさそうに目を逸らす。
 
 茜「でも、私には結城くんみたいな力はないよ。幽霊が見えるだけ。怖いだけで何もできない……」
 茜(幽霊が怖くて怯えるだけの私と、強い結城くんは違う……)
 結城「『見えるだけ』じゃない。瀬名さんはすごいよ」
 茜「え?」
 結城「だって家にいたら安全なのに、怖くてもちゃんと学校に来るんだろ。それってすごいことだ。それだって強さだと思う。瀬名さんは自分に負けてない」
 茜「そんなこと初めて言われた」
 
 茜は目をぱちくりさせながらも、嬉しくて胸を押さえる。
 
 結城「とはいえ、あの黒い手は瀬名さんのこと獲物って呼んでた。幽霊を引きつけやすいタイプがいるって聞いたことある。多分瀬名さんは見えるだけじゃなくてそのタイプなんだろうな」
 茜「そんな……」
 茜「で、でも、あの黒い手は結城くんが倒してくれたんだから、もう大丈夫なんだよね」
 
 結城、困った顔で腕を組む。
 
 結城「……言いにくいんだが、この学校には、あのレベルの悪霊が他にもいる」
 
 ギョッとする茜。
 
 茜「な、なにそれ。どうして!?」
 結城「さあ。元々幽霊の噂はあったみたいだが、今年度になって急に活性化したらしい。4月から放課後に原因不明の怪我人が何人も出てるって。死人は今のところ出てないけど、このままだと時間の問題かもな」
 茜「そんな……」
 結城「さっきの黒い手は退治しようとしても、すぐ逃げて困ってた。なのに瀬名さんのことは執拗に狙ってきてた」
 茜「うん……」
 結城「脅すつもりじゃないけど、瀬名さんはこれからもああいう悪霊に狙われるかもしれない」
 茜「ど、どうすればいいのぉ……幽霊怖いよぉ……」
 
 半泣きになる茜。
 
 結城「倒すしかないんじゃないのか」
 茜「で、できるわけないよ!」
 結城「俺ならできる」
 茜「え?」
 結城「悪霊を釣るための餌になってくれないか?」
 結城「瀬名さんは悪霊を集める。俺は悪霊を倒す。どうだ?」
 茜「でもそんな……危ないよ」
 
 結城、真顔になる。
 
 結城「瀬名さん、幽霊についてこられたことあるだろ?」
 茜「……うん」
 
 子供の頃の茜、道路で幽霊らしき黒いモヤが付いてくることに怯えている。それを思い出す茜。
 
 結城「そこら辺にいる幽霊は不気味なだけでそれほど害はない。でも、さっきみたいな悪霊は違う」
 結城「悪霊ってのは、人の生気を吸い取って弱らせたり、人に取り憑いて殺したりする。多分、そうやって力を増していくんじゃないかな」
 結城「さっきの黒い手──あいつも悪霊だった」
 
 茜、ブルっと震えながら頷く。
 
 茜「あんなやつ、初めて見た。黒いモヤじゃなくて、はっきり手みたいな形だったし。それだけじゃない。幽霊なのに、絡みつかれたら動けなかったもん」
 結城「それだけ力が強かったんだろう」
 茜「それくらい強い悪霊が、学校のみんなを襲うかもしれないってことだよね」
 結城「そういうこと。俺は生徒に危害が及ぶ前にこの学校にいる悪霊を退治したい。でも倒そうにも逃げ回られてばかりで。だから、これからも瀬名さんに悪霊を引きつける餌係を頼みたい」
 茜(そんなこと急に言われても……悪霊なんて怖いよ)
 茜(でも、放っておいたらみんなが危ない)
 
 茜は手を震わせて怯える顔をするが、クラスメイトや英美里の顔を思い浮かべる。
 ぎゅっと手を握り、決心した顔で頷く茜。
 
「わかった。怖いけど、餌になるよ!」
「危ない目には合わせない……とは言い切れないけど、瀬名さんのことは俺が守るから」
 茜「う、うん」
 
 結城、照れもせずにまっすぐに茜を見つめる。
 茜、結城の言葉にドキッとする。

 茜(結城くんのこと怖いって誤解してた)
 茜「結城くん、これからよろしくね」
 
 茜は立ち上がり、結城に向かって手を差し出す。
 目を大きく見開いた結城。
 握手をするのかと思いきや、結城は突然茜を壁ドンする。
 
 茜「ひゃうっ!」

 二人の顔が至近距離になる。
 真っ赤になり、心臓がドキドキする茜。
 
 結城「小物だけど、瀬名さん狙ってたな」
 
 結城は壁ドンではなく、黒いモヤのような幽霊を壁に見つけ、茜を襲おうとしていたのを、咄嗟に握り潰しただけだった。
 黒いモヤを潰した拍子に、結城の頬に黒い液体が飛び、すぐに消える。
 
 茜「ひいい……」
 
 茜は腰を抜かしてその場に座り込んだ。
 結城は黒いモヤを握りつぶしながら笑みを浮かべていたが、すぐにいつもの無愛想な顔に戻る。

 茜(やっぱり怖い!)
 
 座り込んだ茜の手を引っ張って起こしてくれる。
 
 結城「瀬名さん、怪我ないか?」
 茜「え、うん、だ、大丈夫……」
 結城「もう外暗いし、駅まで送る」
 茜「い、いいよ。一人で平気だから!」
 結城「送る」
 茜「は、はひ……」
 
 圧の強い結城に怯えてしまい、拒否できない茜。
 心臓が恐怖でドキドキしている。
  
 茜(幽霊も怖いけど、結城くんも怖いぃ!)
 
  
  
 ◯通学路、学校前。夜。

 通りすがりの黒いモヤを踏み潰す笑顔の結城と、ビクビクする茜。
 
 結城「ここにもいた。瀬名さんがいると集まってくるな」
 茜(いちいち怖い! どうして笑うの!?)
 茜(でも……なんでだろ。怖いのに、結城くんの笑顔はまた見たいって思う)
 
 茜、胸を押さえる。
 
 茜「あっ、これがジェットコースターに乗りたくなる心理とか!?」
 結城「なにが?」
 茜「なっ、なんでもないっ!」
 
 茜、顔を赤くして、ぶんぶんと横に振る。
 
 茜「ねえ、幽霊怖くないの?」
 結城「別に怖くないな。悪霊はともかく、今みたいのは虫みたいなもんだし」
 茜「結城くんって、勇気あるんだね。あ、今のはギャグではなくって」
 
 結城、少し眉を寄せ、困ったように首を傾げる。
 
 結城「……あのさ、言いそびれてたんだけど、結城って下の名前」
 茜「へ?」
 
 目をぱちくりする茜。
 
 結城「だから、俺のフルネーム、犀川結城」
 茜「うそ、苗字じゃなかったの?」
 結城「そういうこと。結城って確かに苗字っぽいけどさ。そもそも席が名前順だし、サ行の瀬名さんの隣なんだから、苗字が結城ならおかしいだろ」
 茜「英美里が結城くんって呼んでたから……」
 結城「俺の苗字が学校の名前と一緒だから、初等部から一緒のやつは名前で呼んでる」
 茜「え……えっ!?」
 
 茜、『犀川学園』と書かれた校門のプレートと結城を見比べ、口をぱくぱくさせる。だんだん顔色が青くなる。
 
 茜「犀川って……」
 結城「俺の親戚が理事長なんだ。俺にはあんまり関係ないんだけど」
 茜(しかも学校関係者!?)
 茜「か、軽々しく名前で呼んですみませんでしたっ!」
 
 茜は青ざめ、汗をかきながら結城に頭を下げる。
 
 結城、そんな茜を見て口元を押さえてクスッと笑う。悪霊退治の時と違う、優しい笑い方。
 
 結城「いや、いいけど」
 
 茜(……笑った)
 
 今度は顔が赤くなり、ドキドキする茜。
 
 茜「あの、ずっと馴れ馴れしくしちゃってごめん!」
 結城「いいって。これからも結城で構わない」
 茜「でも知らなかったとはいえ申し訳なくて……」
 結城「じゃあさ、俺も瀬名さんの下の名前で呼んでいいか?」
 茜「う、うん、もちろん!」
 結城「──茜さん。改めてよろしく頼む」
 茜(私の名前、知ってたんだ)
 
 茜は、微笑んだまま名前を呼ぶ結城にドキドキする。
 
 茜(今の結城くん、怖くないのに、胸が変)
 茜(嫌な感じじゃない……不思議)
 茜は胸を押さえ、微笑む。
 
 茜「こちらこそ、よろしくね!」
 
 二人は握手する。
 二人の背後の校舎の窓に人影。
 担任教師の小林が窓から帰宅しようとする茜と結城を見ている。
 その体に黒いモヤが集っていき、蜘蛛の巣のように見える。