〇場所(教室・昼休み)


「ねぇ、花野井さん。ちょっといいかな?」


昼休み。小春に話しかけてきたのは、クラスメイトである河合さんと神崎さんだった。


(も、もしかしてこれは……! 一緒にお昼を食べようっていうお誘いだったりして……!?)


小春は、そんな期待に胸を弾ませる。


「う、うん。何かな?」

「その、ここ最近ずっと気になってたんだけどね……」


どことなく目をキラキラさせている河合さんに続けて、神崎さんが口を開いた。


「もしかして花野井さんって、葉月くんと付き合ってたりするの?」

「……え?」

「だって、最近よく喋ってるでしょ? 花野井さんも葉月くんも、教室で誰かと話してるところってあんまり見かけないのに、二人きりだと楽しそうに話してるなぁって。昨日の放課後も、花壇の所で密会してたよね?」

「み、密会!? 違うよ、葉月くんとは、そんな関係じゃなくて……!」


小春が否定しようとすれば、タイミングが良いのか悪いのか、渦中の人物でもある声がこの場に響く。


「今、俺のこと話してた?」


聞こえた声に、女子三人は同時に振り向いた。

そこには、つい先ほどまで姿がなかったはずの廉が立っている。


「あ、噂をすればだね」

「せっかくの二人きりの時間なのに、邪魔しちゃ悪いよね。ほら、ウチらはもう行こ」


廉が戻ってきたことに気づいた二人は、にやにやとしながら小春の机から離れていく。


「え、ちょっと待って、本当に違くてね……!」


小春の呼びとめる声も虚しく、ただ小春が恥ずかしがっているだけだと思っている二人は、楽しそうにひらひらと手を振る。


「葉月くんとごゆっくり!」

「それじゃあウチらは食堂行こっか」

「まーた鳴海先輩? 河合ちゃんも飽きないねぇ」


キャッキャッと楽しそうに話しながら教室を出ていってしまった二人を、小春は見送ることしかできなかった。


「もしかして、何だか勘違いされてる感じ?」

「……ごめんね」

「え? 何で花野井さんが謝るわけ?」

「だって……私なんかと勘違いされて、葉月くんも嫌でしょ?」

「……花野井さんってさぁ、何でそんなに自分を過小評価するわけ?」

「過小評価っていうか、それが事実だし……」


――だって、私みたいなぼっちで何の取り柄もない人間が、葉月くんと付き合っていると勘違いされるだなんて……すごく申し訳ないもん。葉月くんには、もっと可愛くて、明るくて……それこそ河合さんや神崎さんたちみたいにキラキラしてる女の子が似合うって思うし。


「花野井さんはさ、もっと自信を持っていいと思うけど」


廉は、持っているビニール袋から何かを取り出す。


「それに俺は、花野井さんとなら、勘違いされてもいいけどね」


その言葉に小春が顔を上げれば、机の上に、コトリと置かれた何か。


「俺、今日は用事があって一緒にお昼は食べられないんだ。寂しいと思うけど、これで我慢してね」


廉が置いてくれたのは、ミルクプリンだった。

小春にこれを渡すために、購買までわざわざ買いにいってくれたらしい。


「……ありがとう、葉月くん」

「うん、どういたしまして。……今回がダメでも、チャンスなんて、これからいくらでもあるよ」


小春が落ち込んでいることに気づいていた廉は、最後に小春の頭をポンと撫でて、教室を出ていった。



〇場所(中庭に面した渡り廊下・昼休み)


お弁当バッグを手に、いつもお昼を食べている第二図書棟に面している中庭に向かいながらも、小春の足取りは重たかった。

河合さんたちと仲良くなれるかもしれないと期待してしまった分、そのダメージは大きい。


(せっかく話しかけてくれたんだし、せめて、私も一緒に食堂に行っていいか聞いてみればよかったかな。でも、私はお弁当を持ってきてるし、何より私なんかが誘っても迷惑なだけかもしれないし……)


ネガティブなことを考えながら廊下を曲がったところで、下を向いていた小春は前方から歩いてくる人物に気づかず、ぶつかってしまった。小春はそのまま尻餅をついてしまう。


「っ、いたた……びっくりした……」


小春が咄嗟に閉じてしまった目を開けば、底が少しだけ擦り減っている学校指定の運動靴が視界に映る。

履いている靴の紐が青色だから、ぶつかってしまったのは、一つ上の二年生だということが分かる。ちなみに、一年生である小春たちの靴紐は緑色で、三年生は赤色だ。

そのまま視線を上げれば、整った顔をした黒髪の男性(鳴海律)が、それは不機嫌そうな顔をして、小春を見下ろしている。


「チッ、どこ見て歩いてんだ、チビ」

「ち、チビって……」


すごくカッコいいけど、人相が悪すぎる。

小春が座りこんだままポカンと呆けた顔をしていれば、律は面倒くさそうに溜息を吐いて、その身を屈めた。


「ったく、ほら」

「え?」

「そのまま座りこんでたいなら、別にいいけど」


律が手を差し出してくる。

小春が恐る恐る手を伸ばせば、律は小春の手をぎゅっと握りしめ、引っ張り起こしてくれた。


(怖そうって思ったけど、意外と優しい人なのかな?)

「あ、ありがとうございます!」


小春は礼儀正しく頭を下げた。

そんな小春を、律は変なものでも見るような目で見つめる。


「お前、一年生か?」

「あ、はい」

「……これからは、ちゃんと前見て歩けよ。お前、チビなんだから。いつか吹っ飛ばされるぞ」

「なっ、私、そんなに小っちゃくないです!」

「あ?」


小春は、心外ですといった顔でムッと唇を尖らせる。

そんな小春の顔をジッと見つめていた律は、小春の頭の上に手をのせてきたかと思えば、ぐっと体重をかけてくる。


「わ、ちょっと、何するんですか! これ以上背が縮んだらどうしてくれるんですか!?」

「ハッ、やっぱり、自分が小さいって自覚あんじゃん」


律は小春を見下ろしながら、クツクツと笑う。

そして、そんな律を、小春は恨めしそうな目をして見上げた。


「り、律が初対面の女子と、楽しそうに会話してる……!」


そこに、小春でも律でもない声が響く。

黙って成り行きを見守っていた、律の友人である小林だ。
はわわ、と口許に手を添えながら、大袈裟に驚いている。

そんな小林を見て、小春は不思議そうに首を傾げ、律は不快そうに顔を顰める。


「おい。そのキモイ顔、止めろ」

「だっておまっ……いっつもしかめっ面してる律くんが、そんな楽しそうに女子と話してる姿なんて見ちゃったらさぁ、俺はもう嬉しくて嬉しくて……って、いったぁ! 何すんだよ律! 暴力はんたーい!」

「うっせ」


小林の頭を軽く叩いた律は、またポカンとした顔で律たちのやりとりを見ていた小春に視線を戻す。


「ま、それ以上縮みたくなかったら、毎日牛乳でも飲むんだな」

「なっ……牛乳は毎朝ちゃんと飲んでますから!」

「って、飲んでんのかよ」


小春の返しに、律はまたクツクツと笑い声を漏らす。


「じゃあな、チビ」


そして、最後に意地悪な笑みを向けながら、律は去っていった。


「ごめんねぇ、アイツ、素直じゃないけど、悪い奴ではないから」


小林は、小春に両手を合わせて申し訳なさそうに謝りながら、律の背中を追いかけて行く。

小春は律たちの背中を見送りながら、チビと言われたことに対して(意地悪な先輩だ……)と恨めしげなまなざしを向けながらも、早くしないとお昼を食べる時間がなくなってしまうと気づき、止めていた足を慌てて動かしたのだった。


***

「律、ちょっと待てって!」

「何だよ」

「そっち、食堂と反対方向だけど。今日は行かんの?」

「……行かねぇ。俺は見せ物じゃねーんだよ」

「あー、確かに最近、女の子たちの熱視線ましましって感じだもんなぁ」

「チッ、クソうぜぇ」

「でもさ、律にしてはほんと珍しかったよな」

「あ? 何がだよ」

「さっきの女の子だよ。律の方からあんなに話しかけてる姿なんて、俺久しぶりに見たんだけど?」

「……別に。ただ、他の女どもみたいにギャーギャー騒がしくねーから、変な奴だと思っただけだ」


無表情でそう言った律は、ふにゃりと笑ってお礼を言ってきた小春の顔を思い出して、頭をがしがし掻いた。

そして、そんな律の姿を見た小林から、またニマニマした笑みを向けられていることに気づいて、律はその頭を持っていた教科書を丸めて軽く叩いた。