〇場所(教室・授業の合間の休憩時間)


(最悪だ)


小春は手元に返ってきたテストの結果を見て、落胆していた。


「花野井さん、もしかして赤点だったの? やっぱりおバカなんだ」

「っ、違うから! 数学が苦手なだけで、他の教科は平均点以上とれてるし……というか葉月くん、勝手に見ないでよ!」


後ろから覗き込んできた廉に点数を見られてしまったことが恥ずかしくて、小春は慌てて答案用紙を手で隠す。


「そういう葉月くんは、何点だったの?」

「俺? はい」


見せてくれた答案用紙には、赤ペンで“100”の数字が記されている。


「……葉月くんって、頭いいんだ」

「何でそんなに意外そうな顔してるわけ?」

「だって葉月くん、授業中は寝てばかりいるし……」

「授業なんてわざわざ聞かなくても、教科書を見ておけば楽勝じゃない?」


当然といった顔で言ってのけた廉に、授業を真面目に聞いても赤点をとってしまった小春は、悔しいとか不甲斐ないとか、そんな感情でいっぱいになってしまった。


「……もういい。葉月くんに聞いた私が馬鹿でした」

「まぁ確かに、花野井さんはおバカだもんね」

「……葉月くん、嫌い!」

「そうなの? 俺は花野井さんのこと、好きだけどな」

「……すぐそうやって揶揄ってくるところも、嫌いです!」

「うーん、手厳しいね」


クスクスと笑った廉は、机に頬杖をつきながら、一つの提案をしてくる。


「それじゃあさ、俺が勉強教えてあげよっか」

「葉月くんが?」

「うん。今日……は、確か花野井さん、委員会の仕事があるって言ってたよね。それじゃあ週末は空いてる?」

「空いてる、けど……いいの?」

「いいよ。花野井さんがこのまま進級できなかったら困るしね」

「わ、私、そこまでバカじゃないよ!?」

「えー、本当かな? 花野井さんってうっかりしてそうだから、大事なテストで名前を書き忘れてました、とか普通にありそうだけど」

「うっ……うっかりしてる所があるっていうのは、否定できないけど……」

「あはは、やっぱりそうなんだ」


否定しようと思った小春だったが、うっかりしている所があるのは事実だったので、口許をもごもごさせながら視線を下げる。


「それじゃあ花野井さんのことは、俺がしっかり見ておかないとね」

「へ?」


小春が顔を上げれば、廉が小春を覗き込むように見つめていた。長い前髪で隠れている廉の目元がチラリと見えて、そのまなざしが、どこか優しく感じてしまって。

小春は何とも言えないむずがゆい気持ちになる。


「そ、それじゃあ週末、よろしくお願いします」

「うん、よろしくお願いされました」


ぺこりと頭を下げた小春は、そそくさと前を向いて、机から教科書を取り出す。

次の授業の準備をしながらも、頭の中は、後ろの席に座っている廉のことでいっぱいだ。


(葉月くんは、どうしてぼっちの私なんかにも優しくしてくれるんだろう。意地悪なところもあるけど……話していて楽しいし、カッコいいし、優しいところだってあるもん。葉月くんがその気になれば、友達だってたくさんできそうなのに)


前を向いた小春は、熱くなった頬に手を添えながら、そんなことを考えていた。



〇場所(中庭の花壇の前・放課後)


小春は園芸委員の仕事で、花壇に植えられた花の世話をしていた。

そこに当然のように顔を出しにきた廉は、作業をしていた小春の隣に屈み込む。


「仕事は順調?」

「……葉月くん、まだ帰ってなかったの?」

「これから帰るところだよ。廊下を歩いていたら、ちょうど花野井さんの姿が見えたから、冷やかしにきてあげたんだ」

「それはどうも、アリガトウゴザイマス」

「あはは、どういたしまして。でも、どうして花野井さん一人なの?」

「ペアの先輩は用事があるらしくて。私は特に用もないし、一人で大丈夫ですって言ったの。今日は雑草を抜いたり水をあげたりするだけだから」

「花野井さんって、ほんとお人好しっていうか……嫌なことはちゃんと嫌だって、言わないとダメだよ?」

「だ、大丈夫だよ。私だって本当に無理な時とかは、ちゃんと言うし」


小春の言葉に、何か考え込むような仕草をした廉は、突然、顔を近づけてきた。


「な、何!? 葉月くん、近いよ……!」

「ほら、嫌な時はちゃんと嫌って言わないと。練習だよ」


廉は更に顔を近づけてくる。その距離は十五センチほどだ。


「やっ……」


小春は反射で、ぎゅっと目をつぶった。

そんな小春の反応を見て、廉は近づけていた顔をピタリと止める。


「……はぁ」


そして、溜息を漏らした。

小春がそぅっと目を開ければ、廉の端正な顔は、すでに離れた位置にある。けれどその顔が、薄っすら色づいていることに気づいた。


「葉月くん、どうかした?」

「……大丈夫だよ。それより、この花は何ていう花なの?」


あからさまに話を逸らした廉は、小春の手元にある花を指さして尋ねてくる。


「これはキンギョソウで、こっちはニチニチソウ」

「へぇ、そうなんだ。さすが園芸部員だね」

「へへ、そうでしょ」


褒められて嬉しくなった小春は、更に言葉を続ける。


「例えばね、この花。ペチュニアって言うんだけど、花言葉が何かは知ってる?」

「ううん、知らないな。花言葉とか、興味もないから調べたこともないや」

「葉月くんって……頭はいいのに、そういう知識は全然ないんだね」


小春が残念そうな顔をして廉を見れば、ニコリと笑った廉は、小春の両頬をみょーんと引っ張って伸ばす。


「へぇ。花野井さんも結構言うようになったじゃん」

「い、いひゃいれふ……! はなひへほ……!」


意地悪をする時の顔で笑った廉は、「うわ、やわらか」と漏らしてから、触れていた手をはなした。


「ふ、間抜け面だったね」

「ひ、ひどい……」


赤くなっていそうな頬を両手で押さえながら、小春は若干涙目で廉を見上げる。

そうしたら、笑っていた廉の表情が、固まったのが分かった。


「葉月くん、どうかしたの?」

「……ううん、何でもないよ」


廉の顔は、よく見ればまた、薄っすらと赤く染まっている。

けれど小春はそのことに気づかないまま、小首を傾げながら作業に戻る。


「ペチュニアの花言葉はね、“あなたと一緒なら心がやわらぐ”とか“心のやすらぎ”って意味があるんだよ」

「へぇ、そうなんだ」

「あとね、花によっては、色とか本数によって花言葉が違ったりもするの。花で気持ちを伝えられるって素敵だよね」

「そうかな? そんな回りくどいことしなくても、直接声に出して伝えた方が早いんじゃない?」

「……女心が分かってなさそうな葉月くんは、覚えておいて損はないんじゃないかな?」


ポロリと口に出してしまってから、また余計なことを言ってしまったかもしれないと気づいた小春は、ハッとして廉の方を見る。

そこにはニコリと口角を上げている廉の表情があったので、また頬を伸ばされるかもしれないと思った小春は、咄嗟に頬をガードしようとした。

けれど、廉が再び頬に手を伸ばしてくることはなかった。


「……まぁ、そうだね。いつかの時のために、覚えておこうかな」


そう言って、ペチュニアに視線を落としながら優しい顔で笑った廉は、「そろそろバイトの時間だから。また明日」と言って、先に帰っていった。


「いつかの時のためにって……葉月くん、誰かに花を渡す予定でもあるのかな?」


不思議そうに首を傾げる小春の手元で、風に揺られたペチュニアの花が、優しく揺れていた。