「亀・・・。」


ご主人様の部屋に入ると、ご主人様はベッドの上で少しだけ目を開け私のことを見た。


「起き上がらないでください・・・っ」


ご主人様の元へ駆け寄ると、起き上がろうとしていたご主人様はまた静かに身体をベッドに戻した。


「ごめんな、亀・・・。」


細くなった手を私の方に伸ばしてきたご主人様の手に、私も手を伸ばした。


「俺がこんなことになってしまったから、昔のように良い男を探しに行くことも出来なくなった・・・。
でも必ず・・・必ず、俺が亀の相手を見付けるから・・・。
亀のことを俺と同じくらい愛してくれる男を、俺が必ず連れてくるから・・・。
ごめんな、亀・・・、それまで待っててくれ・・・。」


「ご主人様は何も悪くありません・・・っ。
悪いのは全部私です・・・っ、私が亀だからです・・・っっ。」


「鶴は千年だけど亀は万年生きる・・・。
だから俺は亀が俺の元に来てくれて良かったと思っている・・・。
ずっと昔から・・・思っている・・・。」


力なんてほとんど出ないはずのご主人様が、私の手を優しくだけど握った。


「俺は亀を愛している・・・。
普通の女の子として愛している・・・。
ずっと昔から俺は亀のことを愛している・・・。」


”ノロマでダメ秘書の亀“と言われる私のことを、ご主人様は昔からそう言ってくれる。


「俺はもう死ぬ・・・。
幼い息子2人を残して、もう死んでしまう・・・。
小関の”家“のことなどほとんど教えられないまま死んでしまう・・・。」


「まだまだです・・・きっと、まだまだですから・・・・。」


「でも・・・もし、そうなったら・・・息子達のことは亀に頼みたい・・・。」


「奥様・・・ご主人様から離縁された後も度々いらしていますよ?」


「あの子は息子達に会いに来ているのではなく、俺に会いに来ているだけだ・・・。
それにあの子はまだ若い、俺が頼んだ次の相手が可愛がってくれるはずだ。
あいつは元々あの子のことを好いていたから。」


「奥様は美しい方ですから・・・。」


「もう”奥様“ではない・・・。
あの子はもう俺の”奥様“ではないから・・・あの子のことを俺の前で”奥様“と呼ぶのはもうやめてくれ・・・。」


ご主人様がガリガリになってしまった顔を大きく歪め、大きく泣いた。


「亀・・・っっ、俺は・・・俺は、亀のことを愛していて・・・っっ。
俺が愛しているのは亀だけで・・・っっ。
昔からずっと・・・っ、これからもずっと・・・っ、死んでもずっと、俺が愛しているのは亀のことだけで・・・っ。」


”私も愛しています。
ずっと昔から、そしてこれからもずっと、私も貴方のことを愛しています。“


その言葉が出てこないよう、今日も泣きながら必死に我慢をする。


「亀・・・っ、聞きたい・・・っ。
亀の気持ちを聞きたい・・・っっ。
死ぬ前に1度だけでも聞きたい・・・っっ。」


昔はこんな人ではなかった。
病気になってしばらく経ってからも、こんな人ではなかった。
いつもこんな私のことを守ってくれ、こんな私のことを愛してくれる、強い強い人だった。


「言えません・・・。
秘書である私には、言えません・・・。」


「亀は秘書なんかじゃない・・・っっ、普通の女の子だ・・・っっ。
本当だったら秘書になんてなるはずはなかった、普通の女の子だ・・・っっ。」


呼吸が荒くなり、虚ろな目になってきたご主人様の胸を撫でる。


「そうです、亀は普通の女の子です。
だから言えません・・・そんな恥ずかしい言葉は言えません・・・。
でも、ご主人様と同じ気持ちです・・・。」


今日初めてそのことを伝えると、ご主人様はとても安心した顔で目を閉じた。