先の見えない親の介護、孤独な未来、失った夢、40歳の岩田まりなは追い詰められていた。
左手を太陽にかざすと、私の腕を強引に引っ張り、ユーリ皇子が私を目の前に立たせる。
彼は無表情で鞘におさめてた剣を抜き、風を切るようなスピードで剣を振り下ろした。

「俺の名は、ユーリ・ハゼ。ハゼ帝国の第一皇子で、お前の国を滅ぼした男だ。お前は今日から、マリーナ・リラではない。奴隷のマリーナだ」

ユーリ皇子が冷たく言い放つと、マリーナの藍色の髪の毛が地面へと落ちた。
そっと手で毛先に触れると、腰まであった髪は肩くらいまで切り落とされているのがわかった。

「今、わざと私を驚かそうと大袈裟に剣を振りましたね。奴隷の身でありながら、散髪を皇子殿下にして頂きありがたき幸せであります」

わざと私を驚かそうとして剣を大きく振ったユーリ皇子に懐かしい人が重なった。
侑李先輩が私が一人で図書室にいた時に、後ろから驚かしてきた時のことを思い出した。

(いつも、大袈裟に私を驚かそうとしてきた人⋯⋯)

「お前は、王女の身分のまま死にたいとか、王女としてのプライドはないのか?」

「ありません。プライドに縋って良いことなど何一つありませんから。私が従うのは己の信念のみです。私は生きる為なら何でもします。私は魚ではなく、13歳の人間です。命さえあればどうにでもなります」

体が13歳になったからだろうか。
私は奴隷として帝国に隷属しなければならないのに、解放された気分になっていた。
私には薬指がある。

「あんな男、結婚しなくて正解だった」

私は思わず、呟いていた。
刃に落とされ、機械に巻き込まれた私の左手の薬指。

その薬指があれば誠一と結婚できていたと何度も思った。
でも、彼は私が辛い時、浮気をした人間だ。
結婚しなくて正解だった。

「お前、頭大丈夫か?発言が13歳のものではないぞ。なんか、口ぶりも説教くさいし」

ユーリ皇子は急に笑い出した。
彼は私を米俵のように持ち上げて馬に乗せて、自分はその後ろに乗った。

「説教くさい小説」と自作の物語を素人投稿サイトに載せた時、感想を書かれたのを思い出した。
私は教職を目指していたから、そのせいもあるかもしれない。

何を書く時も、この文章を読んで「助け合いとは何か」「生きるとは何か」を学ばせようとしてしまっていた。
ただ、イケメン溺愛されるような小説を書こうとしても、漂う説教くささは拭えなかった。
娯楽で小説を読みたい層に受けるわけではない内容だ。

ユーリ皇子殿下が馬を走らせ、その後ろを帝国の騎士たちがついてくる。
殿下の真後ろの騎士が持っている木箱の中には、首が入っているのだろう。

両親を失ったマリーナは悲しみに泣き叫ぶだろうと思うと、胸が締め付けられる。

岩田まりなが両親を失ったら、泣けるだろうか。

私は日本においてきた要介護の両親を思い出した。
あのまま玄関で私が眠ったのではなく、死んでいたとしたら両親の面倒は誰が見るのか。
姉も兄も、両親の介護にはノータッチだった。


「ユーリ皇子殿下、私は正常です。そして、呪いを解くには聖女の力が必要です。聖女を探し出します。それまでは私にできることを帝国でさせてください」

「13歳の箱入り王女にできることなんてないだろ。魚みたいに泳げるみたいだけどな」

ユーリ皇子殿下がバカにしたように笑う。
マリーナ・リラは何の設定もしていなかったが、どうやら何もできないお姫様と思われているようだ。

「炊事洗濯、介護、掃除ができます。聖女が来るまで、ユーリ皇子殿下にかけられた呪いは殿下の体を蝕みます。下の世話が必要になったら任せてください。真夜中でも私ができる限り丁寧に対応させて頂きます」

就職氷河期真っ只中、教員採用試験の倍率は30倍以上だった。
教員採用試験に落ちてしまった失意の私を拾ってくれたのが地元の工場だ。

地元にとどまった私は、公民館で子供にボランティアとして勉強を教えるのを楽しみに生きていた。

「言いづらいんだけれど、指がないとやはり不快に思われる方もいるので今度から来ないでもらえるかな?」

私は薬指を失ったとともに、「教える」という生きがいも奪われてしまった。

生き甲斐もなく主人にひたすら隷属する、それが奴隷の生き方だろう。
奴隷としての立場で何ができるか考えたら、私が毎日のようにやってきたことだった。

「下の世話って⋯⋯下の世話って⋯⋯」
私が言った言葉が衝撃だったのか、馬に乗りながら呆然とユーリ皇子は呟き続けた。