今日はユーリ皇子殿下の婚約者発表の日だった。
ユーリ皇子殿下が「マリーナを婚約者として指名する」と言ったとき本当は嬉しかった。

戸惑ったふりをしたけれど、彼が私を選んでくれたことに喜びを隠しきれただろうか。
普通に考えたら、奴隷である私が皇子の婚約者になれる訳がない。
この決定はいずれ覆されるに違いない。

トントン!

真夜中にも関わらず扉をノックする音がした。
部屋の扉を開けるとそこには、イサキがいた。

イサキは本日から行政官として皇宮で働き始めた。
ルーク皇子殿下が早速、取り計らってくれたのだ。

「マリーナ様、気になることが見つかったのでご報告にあがりました」
信じられないことに、このような真夜中までイサキは働いていたようだ。
役割をもらうと嬉しくてひたすらに頑張ってしまうところが自分に似ていて、彼のことが愛おしくなる。


「このような遅くまで仕事をしていたのですか?明日からも仕事は続くのですよ。休むことも覚えてくださいね」
私が言った言葉に一瞬照れたような表情をしたイサキは、おずおずと束の書類を出してきた。

「収支報告の書類で数字が合わないので調べていたんです。誤差の範囲ですが、10年ほど遡ると結構な額になります」
私はイサキが見せてきた書類を見て驚いた。

確かに誤差の範囲で見過ごす数字だが、数字に拘りのあるイサキは見逃せなかったのだろう。
誤差に過ぎない数字を10年ほど集めるとかなりの額になる。

「このお金の流れは見過ごせませんね。ポール・メバルとエマ・ピラルクに接点や共通点を探してみた方が良いかもしれません」

イサキの手に入れた書類によるとメバル伯爵からティクス王家へ10年に渡り金銭の流れがあるようだ。
ティクス王国といえばエマ・ピラルクの出身国だ。
メバル伯爵がティクス王国と組んで、帝国の陥落を狙っている可能性がある。

エマ・ピラルクをユーリ皇子殿下の婚約者にして、皇室の機密を抜き取る作戦かもしれない。
側にいられれば、暗殺の機会を狙うこともできるだろう。
聖女という立場がある以上、エマ・ピラルクに対してはみんな油断する。

「2人とも髪がピンク色です。もしかして遠い親戚だったりしますかね? 調べてみましょうか」

もう、真夜中なのにイサキは自分が必要とされていることが嬉しいのだろう。
今から、まだ働こうとしている。

「確かに調査してみる価値はあると思います。イサキに少し意見を聞きたいのですがよろしいですか?」
「もちろんです。意見を聞かれるのは初めてです」

イサキは頼られるのが嬉しいのか嬉しそうにしている。
私は疑うのは最後と決めていた聖女エマを疑わなければいけない段階に来たのではないかと思い始めていた。

「この1週間ユーリ皇子殿下の命が狙われる時が2度程ありました。私がここに来た1年には一度もなかったことです」
「ワインへの毒の混入と、馬の胸がいが切られた件ですね。おそらくエマ・ピラルクの仕業でしょう。外部の人間の彼女がするには不可能な事案なので、帝国内部に協力者がいそうですね」

本日、行政部に着任したのばかりのイサキが婚約者指名の一連行事で起きたことについて知っている。
おそらく、彼は疑問や引っ掛かりを感じたことを突き詰める性格だ。
メバル伯爵の怪しい金の流れからティクス王国出身の聖女エマに辿り着き、色々と調べたのだろう。

「協力者はメバル伯爵とその仲間達かもしれませんね。やはり、イサキもそう考えていましたか」
「ユーリ皇子殿下が毒に侵されたり、大怪我をして得をするのは聖女の力を見せつけ殿下に恩を売れるエマ・ピラルクですから」

今、彼は沢山の生まれた疑問を、線で繋ぎたくて仕方がない衝動があるのだろう。
最初から飛ばし過ぎていて、心配になる。
今の彼はやる気が漲りアドレナリンが大量分泌されてそうだが、確実に新しい環境のストレスでダメージを負っているはずだ。

「初日から、すごい仕事ぶりです。あなたは本当に素晴らしい子ですよ。今日はもう遅いです。ちゃんと休んでください」

「マリーナ様は面白いですね。俺の方があなたより2歳も年上なのに、子供扱いしてきます。でも、あなたに子供扱いされるのは心地良いです」
部屋の姿見にうつった自分を見ると明らかに14歳の少女だ。

そのような私が、16歳のイサキを子供扱いしているのだから確かに面白い。
幼い私に子供扱いされることに反発せず、居場所を与えてくれたと感謝するイサキは素直な良い子だ。

「すみません、私、変わり者なんです」
「俺も、変わり者です。でも、居場所を頂けて今すごく楽しいです。マリーナ様が取り計らってくれてたのですよね。ありがとうございました」

「イサキ、帝国はあなたを必要としています。あなたはこれから沢山お礼を言われる側の人生を過ごすと思いますよ。明日も仕事が山積みです。睡眠を取らないと仕事の効率が下がりますよ」

私は教師になって、彼のような悩みを持つ子を救いたかった。
願わくば感謝される側の人生を過ごしたかったが、侮蔑されながらの奴隷生活を過ごした。
イサキには自分の能力を最大限に活かせる場所で、幸福な人生を送ってください。

「そうですね。明日も仕事でした。おやすみなさい、マリーナ様」
「おやすみなさい、イサキ」