「マリーナ、お前が俺に毒を盛ることだけは天地がひっくり返ってもあり得ない。お前自身は本当は誰が毒を盛ったとマリーナは思っているんだ? 」
帝国の第一皇子であるユーリ・ハゼに毒を盛るということは帝国へ喧嘩を売るようなものだ。

俺の問いにマリーナはとぼけた顔をしている。
マリーナは自分が一番の容疑者ということで、疑いの目を向けられて来賓が傷つくことを避けた。

(寝ずに俺の命を守ってきたマリーナが犯人であることだけはあり得ない)

「ユーリ皇子殿下、それは、これから調べていくべきことですね。とりあえず、アリア王女が犯人である可能性は非常に低いと思います」

マリーナは気がついているだろうか。
何気なく言ったマリーナの言葉に、彼女を敵視していたアリア王女が胸をうたれている。
失礼な言葉を吐き見下していた相手が、自分を庇っていることが信じられないのだろう。

(マリーナはそういった他人の態度の変化に気を取られず、本質を見極められる⋯⋯そんな彼女が好きだ)

アリア王女は先程までゴミを見るような目で見つめていたマリーナを、今は女神を見るような目で見ている。
マリーナは瞬時に人を変えてしまう魔法使いのような女だ。


彼女も王族だから、周りには気を抜けば蹴落とそうとする者ばかりだ。
そのような環境に身を置いていた者が、マリーナの公平で美しい心に触れて惹かれないはずがない。
俺が一番良い例だ。

(アリア王女はもう俺を見ていない、マリーナに夢中だ。マリーナはまた人の心を盗んだな)

♢♢♢

婚約者を決める1週間は、多くの課題を婚約者候補に与える。
帝国への知識を確かめる試験をしたりするのが通例らしいが、そのようなことをするのはつまらないと思った。

知識比べをしたら、マリーナが勝つに決まっている。
ちなみに乗馬の腕を比べても、俺のマリーナが圧勝だ。

知識比べよりも、マリーナが楽しめる乗馬を俺は選んだ。
馬と関わっている時の彼女の表情はやわらかい。
その柔らかいマリーナの表情を俺が見たいだけだ。

「今日は、昨日伝えていた通り遠乗りをする」
俺が告げた言葉に皆、予定通りだと頷いている。

すかさず、皆が乗る馬をチェックしだすマリーナは異質だ。
彼女の異質さが俺の心を捉えて離さない。

「殿下の愛馬の胸がいが切れています」
マリーナの発した言葉に俺は一瞬心臓が止まった。
胸がいが切れたまま乗っていたら、落馬していたかも知れない。

「おい、昨晩、馬の点検したやつは誰だ! 」
俺の言葉に厩務員たちが震えだす。
冗談じゃない、奴らが仕事をしっかりしなかったせいで落馬して大怪我するところだった。

「今、私が気がついたのに何故ユーリ皇子殿下はお怒りなのですか? 彼らが昨晩点検した後に胸がいを切った者がいたかも知れませんし、ただの経年劣化かもしれません。殿下も当然乗馬の前には馬の点検をしますよね。私が気がつかなくても、殿下は整備不良に気がついていたはずです。いずれにしろ落馬はしていなかったのではないでしょうか。帝国の未来を担う殿下のことです。自分の乗る馬の点検も怠るようなことはなさらないでしょう」
俺はマリーナの言葉に背筋が凍った。

彼女は今、俺が厩務員に怒りを向けたことを怒っている。
それに対して身分関係なく謝罪するように言っている。

マリーナは常に人を平等に扱う、俺は彼女の特別になりたいのにそれが寂しい。
しかし、彼女のいう通り、今は謝罪をしないと彼女からは見限られるだろう。

「すまなかった。そなた達の仕事ぶりを疑ったわけではない」

俺の謝罪に恐縮したように、言葉なく厩務員達が首を垂れる。
今後、彼らはますます真剣に仕事に取り組むようになるだろう。

(マリーナはやはり特別な女だ。また人を変えてしまった⋯⋯)

「マリーナ様も、殿下も本当に乗馬がお上手なんですね」
馬に乗りながら、笑顔でエマ・ピラルクが俺に話しかけてくる。
人はこの笑顔を無邪気で無垢な笑顔と表現するだろう。

(胡散臭い笑顔だな⋯⋯常に微笑んでいる女ほど信用できない)

俺は、滅多に笑わないマリーナの笑顔が見たい。
マリーナを覗き見ると馬から降りて、馬の足の点検をしている。
俺は慌てて馬を止めて、マリーナに駆け寄った。

「何かトラブルでもあったのか? 」
「様子がおかしいと思ったら、バラの棘が刺さってたようです」
マリーナが馬の足に刺さった棘を跪いて抜いている。

他の馬だって、足に棘が刺さっているが人間のために走らされている。
マリーナのパートナーになった馬はなんと運が良いのだ。
まるで、相棒のように大切にされて、優しく扱われている。

「マリーナ、お前の刺した棘が今も胸に刺さっている俺をなんとかしてくれないか?」

俺は女に迫られたことはあっても、口説いたことはない。
慣れないことをしているから、こんなにも上手くいかないのだろうか。

「具合が悪いところがあれば、皇宮医にでもかかってください」
冷たく彼女から言い放たれてしまって、彼女をときめかせることもできない。
ふと視線を感じて振り向くと、エマ・ピラルクが冷めた目でマリーナを見ていた。

彼女が聖女で運命の相手だとマリーナは言っていたが、彼女から隠し切れない悪意を感じる。
俺が割と悪意に晒されて生きてきた人間だから敏感に感知してしまうのかも知れない。

(マリーナ、お前のおすすめは好きになれそうにない⋯⋯俺が好きなのはお前だけだ)