すると次にイリアは、レイトの座る机の上に堂々と腰掛けた。
そして上半身を倒して、レイトの眼前に迫る。

「アンタ、気に入ったわ。アタシの下僕(しもべ)にしてあげる」

その悪魔の微笑みは、あまりにも普段のアイリからは、かけ離れていて……
背筋が凍るような威圧に、自然と身動きが取れなくなる。

「君……もしかして、王女じゃないの?」
「アタシは『イリア』よ。本当はディア以外には内緒なんだけど、アンタには許してあげる」

どこまでも上から目線の、王女というよりは女王様。
そんな女王に迫られながらも、聡明なレイトは冷静に状況を判断し理解した。
どうやら、アイリには『イリア』という別人格が存在するのだと。
そんな事を考えていたら突然、レイトの頬に柔らかい感触が触れた。

「えっ……!?」

イリアがレイトの頬にキスをしたのだ。
成す術もなく、レイトはイリアの金色の瞳を至近距離で呆然と見ているだけ。
イリアは妖艶な微笑みを浮かべて、レイトの瞳を……心をも捕らえる。

「アタシの唇はディアだけのものだから、これが契約の証」
「契約?」
「そ。これで、アンタはアタシに服従するの」

唇どうしのキスではないから、正式な契約としては成立していない。
これは強制力のない、イリアの形式上の契約の形。
文字通り、単なる『口約束』の関係でしかないが、それだけでも充分な束縛の効果を発揮する。
すでにイリアはレイトの心を縛ってしまったのだから。

「命令よ。アタシの事は誰にも言っちゃダメ。内緒よ。分かった?」
「う、ん……分かった」

すでにレイトは、イリアの言いなり……という訳ではない。
イリアに逆らえば、王宮やアイリの身に危害が及ぶかもしれないと危惧したからだ。
今は、イリアという謎の人格に従うしかない。

「ふふ、いい子ね。じゃ、おやすみ」

今度は子供のようにニッコリと笑うと、イリアは机の上から降りた。
そして片手をヒラヒラと振りながら、背中を向けて図書館から出て行く。
レイトはただ、その小さな背中を呆然と見送った。
そして……片手で頬に触れて、先ほどの『契約』の感触を思い出していた。

レイトは、もはや読書に集中できるような心境ではなくなっていた。