アイリが去って二人きりになった広間は、重い空気と静寂。
先に沈黙を破ったのは、ディア。

「わざと、ですか?」

冷淡なディアのその一言だけで、エメラはその質問の意味を察した。

「罠で負傷したのは迂闊でしたわ。魔獣の姿でいれば、ここに来れると思いましたので」

エメラが負傷したのは、わざとではない。
だが、ここに保護される目的で、わざと魔獣の姿のまま森で待っていたのだ。
そうすれば、ディアもここに来る事は分かっていたから。

「どうしてもディア様にお会いしたかったのですわ」
「……あの件は、お断り致しました」

ディアの言う『あの件』とは、エメラからの求婚の申し出だ。
常に微笑していたエメラの表情から、スッと笑顔が消える。

「魔獣と悪魔が結ばれたところで、何も得られませんのよ」

つまり、ディアとアイリの事を言っているのだ。
愛さえあれば種族なんて……という軽い問題ではない。
魔獣と悪魔が結ばれても、子は成せないかもしれない。
しかもアイリは王位継承権を持つ魔界の王女だ。
ディアにとっては、その言葉と責任が重く伸し掛かる。
エメラが求婚してきた理由、それは……希少種どうしだから。

「エメラさんの目的は『種の存続』という事ですか?」
「そうですわね。でも、それだけでは、ありません」

数百年前、野生の魔獣であったディアが突如、森から失踪した。
魔王オランがディアを魔法で人の姿に変えて、王宮に迎えたからだ。
それから、魔獣たちの秩序が乱れ始めた。
最強の魔獣がいなくなった事で、魔獣たちを守る存在もいなくなり、密猟者も増えた。
魔獣たちは密猟者を警戒し、人を恐れ、攻撃的になった。
ディアの存在は野生の魔獣たちにとって、まさに『魔獣の王』だったのだ。

「魔獣王ディア様。わたくしと一緒に、魔獣界を治めましょう」

……それが、エメラの目的なのだ。
しかし、ディアは魔獣界の王になった覚えなどない。なるつもりもない。
いや違う。過去の記憶がないという理由で、見ないふりをしてきた。
過去はそうだったとしても……今は魔界の王女アイリの婚約者なのだ。
まるで種の繁殖が目的のように近付いてくるエメラを、受け入れる気なんて起きない。
それでもエメラは椅子から立ち上がり、ディアに歩み寄ろうとする。
しかし怪我をした片足では体を支えきれず、痛みに顔を歪ませて倒れそうになる。

「……エメラさん!」

ディアは咄嗟に駆け寄り、エメラの体を抱くようにして支えた。