魔王は、膝の上で自分を見上げる少女の頬を、両手で包んだ。
本当にアヤメなのか……それを確認するように、その瞳に全てを映した。
その瞳の色、眼差し、微笑み、唇も……全てが『アヤメ』そのものだった。
アヤメは微笑みながら目を閉じた。まるでキスを待っているかのような仕草だ。

……この反応。確かに、アヤメに違いない。

亜矢の中のアヤメの記憶は、確かに封印した。
アヤメの人格が亜矢を支配する事は、ありえない。なら、どうして……?
アヤメは再び目を開けた。

「私はアヤメよ。天王さんが私を再生してくれたの」
「再生……天王がアヤメを?」
「うん。今の私は菖蒲(あやめ)の花から作られているけど…でもアヤメなの。信じて?」

アヤメの本当の魂は今でも亜矢の中にある。
だが、体は仮の姿でも、心は本物のアヤメなのだ。
記憶は複製できても、魂は複製できない。移し替える事もできない。
亜矢の中に存在しているアヤメの『心』を、今の疑似体に移し替えたとも言える。
亜矢を本体として、アヤメの意識や心だけを『仮の体』が投影している。
いつか亜矢の転生体と融合し、本当の魂を宿すまでの仮の姿なのだ。
魔王の目に映るアヤメは、昔と変わらない瞳で必死に想いを訴えかけてくる。

「それでも一緒に居たいの。もう離れたくない…お願い、オラン……」

魔王は、ようやく理解した。
このアヤメは、亜矢とは別の生命体。アヤメの『疑似体』である事を。
だとすれば、天王は『禁忌の儀式』を行ってまで、アヤメを再生させた事になる。
なぜ、そこまで……?
あの気難しい天王の事をいくら考えても、答えなど解らない。
ただ確かに、アヤメが目の前に存在している。それだけが確かな事実だった。

「アヤメ……命令だ」
「うん?」

魔王の『命令』とは、昔から従順なアヤメによく言っていた言い回しだ。
それはアヤメを服従させる言葉ではない。強く言い聞かせる為だけのものだ。

「どんな姿でも構わねえ。二度とオレから離れるな」

魔王は全てを知り認めた上で、今のアヤメを受け止めた。
亜矢がアヤメとは別の心と人格を持って生まれてきた事も……
こういう形でアヤメと再会する事になったのも……
それこそが、全て『魂の輪廻』の儀式の代償なのかもしれない。
だが、亜矢との出会いもアヤメとの再会も、間違いなく運命であり奇跡。
……確かに今、心は満たされている。それでいいと思った。

「………はい」

アヤメは目を潤ませて頷き、精一杯の笑顔で想いを返した。

「もう……ずっと一緒だよ、オラン……愛してる」

遠い昔から愛し続けた少女、妃であるアヤメを魔王は強く抱き返した。
体温、鼓動、吐息…アヤメの存在を全身で感じられる喜びを噛み締めた。

「アヤメ……愛している」

窓から差し込む朝日が壁に2つの影を映し出し……やがて1つに重なる。
アヤメは目を閉じて身を委ね、その想いを口付けと共に受け止めた。