魔王と、亜矢の中の『アヤメ』を巡る問題は、これで解決したと思われた。
亜矢が、魔王の妃『アヤメ』の生まれ変わりであるという真実。
それを知るのは、魔王と亜矢以外では、天王とディアしかいない。
その中の誰かが………この問題を再び動かそうとしていた。





ある休日の日の朝、マンションの亜矢の部屋を訪れた来客がいた。
玄関のドアを開けた亜矢は、その意外な人物を目にした瞬間に硬直した。

「……お邪魔する」

驚きに固まる亜矢の正面で、すました顔で挨拶をした人物は……

「天真さん!?」

天真こと、天界の王・ラフェルだった。
天王が一人で亜矢の部屋に訪れるなんて、初めての事だ。
今日も素敵なスーツ姿で……なんて、見とれている場合ではなかった。
何か重大な用事なのだろうか。天王は無表情なだけに心が読めず、胸騒ぎを感じる。

「とりあえず、上がって下さい。あっ…コランくんは、まだ寝てますけど」

玄関で立ち話をする訳にも行かず、亜矢は天王をリビングへ通した。




「あの、なんか…すみません、狭い部屋で」

リビングのテーブルに座ってもらうと、亜矢はさらに気まずそうに謝った。
天王と言えば、天界の王。神様のイメージだ。なんとなく、ここが場違いな気がする。
気まずい時に、二人を盛り上げる物と言えば……

「あっ!シュークリーム食べますか!?ちょうど、あのお店の買い置きしてあるんですよ!」
「頂こう」

天王は、ようやく微笑して答えた。
シュークリームで和んだ所で、本題だ。亜矢はテーブルの向かい側に座る。

「今回は春野さんに相談というか、提案がある」
「提案……ですか?」
「そうだ。君の魂の中に眠る『アヤメ妃』の事だ」

驚いて一瞬、ティーカップを持つ亜矢の手の動きが停止した。
やはり神様である天真さんは、全てを知っていたのね…と、すぐに納得した。
だが、またすぐに目を伏せた。

「なんだか魔王に申し訳ないな、って思うんです。あたしは、前世のアヤメさんとは違いすぎて……」

同じ魂であるという事だけで、アヤメとは違う心と人格を持って生まれてきた。
亜矢には、アヤメが自分ではない全く別の存在のように思えた。
亜矢自身も、ずっとこの葛藤に苦しみ続けてきた。
だが、自分よりも他人を優先する心優しい亜矢は、誰よりも魔王を気遣った。
天王もまた亜矢を気遣い、優しい微笑みと口調で本題を口にした。

「君とは別の人間として、アヤメ妃を作り出す方法がある」

亜矢には一瞬、その言葉の意味が分からなかった。

「それって…あたしとアヤメさんを分離させて二人にする、って事ですか?」

そうだとすれば、それ以上の解決法はないだろう。
亜矢とアヤメという二人の人間が同時に生きて存在すれば、全てが丸く収まる。

「少し違う。君の中にあるアヤメ妃の記憶を複製して、別の『媒体』に記憶と命を吹き込む」

そうする事によって、擬似的にアヤメという人間を生み出す事が出来る。
天王は、『媒体』とした物に命を吹き込んで、生命体を作り出す事が出来る。
天使のリョウも、『アクアマリン』という石を媒体にして生み出された天使だ。
おそらく、それと同じような原理なのだろう。

「そんな事が……出来るんですか!?」

亜矢は思わず、身を乗り出してテーブルの向かい側から詰め寄った。
クールな天王は表情ひとつ変えない。

「やった事はないが可能だろう。『禁忌の儀式』の部類だがな」

それを聞いた亜矢は心配になった。
この人は、そんなに『禁忌の儀式』ばかり使って、大丈夫なのだろうか……と。
確か…リョウの心を支配した、あの呪縛も『禁忌の儀式』であったはず。
『禁忌の儀式』には代償を伴うはずだが、この人がそれを受けた様子も見られない。

(やっぱり神様……だから?)

亜矢は、そう勝手に納得する事にした。

「でも何で、そこまでしてくれるんですか?」

今度は天王が目を伏せた。何か、思い詰めたような哀しい表情を一瞬見せた。

「償いだよ」
「え?」

亜矢には、この言葉の意味も理解出来なかった。
天王は過去に、亜矢の魂を奪おうとした事がある。
アヤメの事は魔王の妃として昔から知っていたが、その生まれ変わりだとは知らずに……。
魔王と、亜矢と、アヤメに対しての償い。それが『アヤメの再生』なのだ。
これは、天王にとっての『罪滅ぼし』でもあった。

「それには媒体が必要だ。何か、アヤメ妃に関連する物があれば良いのだが」
「あっ!それなら、ある……!あります!!」

亜矢は椅子から立ち上がりテーブルから離れると、窓際に走った。
そこに置いてあった花瓶を手に取って戻ると、テーブルに置いて天王に見せた。

「この花、魔王がくれたんです。アヤメさんとの思い出の花らしいです」

その花瓶には、紫色の美しい菖蒲(あやめ)の花が数本、生けてあった。
魔界の城の庭園に咲く菖蒲(あやめ)の花を、魔王が亜矢にプレゼントしたのだ。

「よし。では、この花を媒体に、アヤメ妃を再生させよう」