亜矢と魔王の密会など知らずに、その頃のグリアは何をしているのかと言うと。
なんと、マンションのリョウの部屋にいた。
思い詰めた表情のグリアとは裏腹に、リョウは何故か嬉しそうだった。

「グリアがボクの部屋に来るなんて珍しいよね?なんか嬉しいなぁ。あ、シュークリーム食べる?」
「いらねえよ」
「グリア、なんで不機嫌なの?……あっ!ついに亜矢ちゃんにフラれた?」
「てめえが嬉しい理由はソレか」
「図星なの?だったら嬉しいよ、ボクのチャンス到来だもんね」
「……………」

いちいちリョウのテンションに合わせてツッコミを入れていたら、こっちが疲れる。
だがリョウは、テーブルを挟んでグリアの正面に座ると、調子を合わせるようにして表情を曇らせた。

「亜矢ちゃんの事だよね?ボクもおかしいと思うよ」
「あぁ、まるでアイツがアイツでなくなったようだ」

こんなにも近くにいて、毎日『口移し』という形でも触れ合っている二人だ。
少しの変化でも、それは大きな違和感となって感じ取れる。

「関係あるか分からないけど…」

そう前置きをして、リョウが話し始めた。

「魔界から天界に、亜矢ちゃんの魂の詳細が知りたいと要請があったんだ。天王様は承諾したらしいけど」

天界には、人間の魂の所在、前世、転生などの詳細な記録が保管され、厳重に管理されている。
特別階級の天使であるリョウでさえ、その保管室に足を踏み入れる事は出来ない。

「魂…興味ねえな」

グリアにとって、人間の魂は単なる『喰い物』でしかない。
魂を狩って喰う死神にとっては、個人の魂の詳細などに、いちいち興味を持たないのだ。
だが、それが亜矢の魂の事となれば、話は別だ。

「とにかく、こうしている今も、亜矢ちゃんの側を離れない方がいいと思うよ?」

リョウはそう言うが、あんなに全力で拒絶されてしまっては、グリアでもなかなか近付くのは難しい。

「直接でなくても、尾行とかさ。グリア、得意でしょ?そういうストーカーみたいなの」
「テメエ、一度死んで根性腐ったか?」
「あはは、グリアほどじゃないけどね」

悪気なく笑うリョウに、グリアは溜め息をつく。

「あ、これから夕飯作るから食べて行きなよ。当分『口移し』は難しいもんね、死なない程度に栄養つけないと」

リョウの少し毒のある気遣いが、グリアには嫌味にしか聞こえない。
だが、あえて不安をかき消すかのように明るく振る舞うリョウに救われた気持ちにもなる。
こういう所が、まさに天使なのだろう。






何を躊躇っているのだろうか。
亜矢の心が別の何かに向かっている事を感じ始めている今、どこかで焦っているのかもしれない。
グリアは自分自身を嘲笑した。

『奪われる前に奪ってしまえばいい』

それが信念で、ずっと貫いて来たはずだ。
そう思いながらリョウの部屋の玄関から外に出て、自分の部屋へと向かおうと目を向けた瞬間。
グリアの部屋のドアの前に、誰かが立っている。
薄暗い時間ではあるが、見間違えるはずもない。
亜矢だ。
グリアは瞬時に、何かがおかしいと思った。
今朝、あのような拒絶をされたばかりである。
亜矢の前に歩み寄ると、亜矢が静かにこちらに顔を向けた。

「……今度は、あんたが待ち伏せとはな。そんなにオレ様に会いたかったか?」

いつものふざけた言い回しではあるが、その鋭い瞳で注意深く亜矢の様子を探る。
薄暗さのせいだろうか。亜矢の瞳には、光が宿っていないようにも見える。
亜矢はグリアを見ると、少しも瞳を動かさずに、一言だけ呟いた。

「死神……助けて」

グリアが目を見開き、その言葉の意味を理解するよりも先に。
亜矢が突然、グリアの体に両腕を回し、抱きついてきたのだ。

「………!?」

口移しをする訳でもなく、亜矢の方から抱きしめてくる事なんて、今までになかった。
いや、ありえない。やはり、何かがおかしい。
グリアは亜矢の両肩を掴むと、強引に引き離した。
亜矢は今にも泣きそうな顔で、グリアの顔を見上げている。

「亜矢、テメエ、どうした…!?」

グリアがそう言った瞬間、亜矢が突然ハッとして意識を取り戻したかのように、その瞳が本来の色を取り戻した。
そして、目をパチパチさせた。

「………え?あたし今、何かした?」

その様子は、たった今の言動をまるで覚えていないようだった。

それは明らかに―――『亜矢が亜矢でなくなっていく前触れ』だった。






『転生』させられた魂は、魔王を求めている。
『蘇生』させられた心臓は、死神を求めている。
魂と心が、別々の意志を持っている。
2つの運命の間で、この先、亜矢が辿り着く場所とは、誰の元なのか。