その日の終礼後、教室から出ようとした亜矢を魔王が呼び止めた。
亜矢のクラスの担任教師でもある魔王は、誰にも聞こえないように小声で囁く。

「話がある。今夜8時に、あんたの部屋に魔界への入口を繋げるから、一人で来い」

学校内であるのに、その内容は現実的な話ではなかった。
しかも彼らしくもない神妙な面持ちで言われたものだから、亜矢は不思議に思った。

「…え?話なら、会議室とか、あたしの家でもいいんじゃあ…?」

わざわざ魔界に呼ぶ程の事なのだろうかと疑問に思った。
魔王には失礼だが、もしや下心でもあるのでは…?とすら疑ってしまう。
だが、魔王は真剣だった。

「大事な話だ。心配いらねえ、話が終わったらすぐに帰してやる」
「うん……いいけど、コランくんを連れて行ったらダメなの?魔界なら喜ぶと思うけど」
「コランは絶対に連れてくるんじゃねえ」

何故かそう強く言われたので、亜矢は不審に思いながらも了解した。






その日の夜8時。
魔王に言われた通り、亜矢が自室のクローゼットを開くと、その中には闇の空間が渦巻いていた。
以前にもあったように、ここに飛び込めば魔界に行く事が出来る。
ただ、今回は魔王の自室に直結しているらしい。
クローゼットに飛び込む前に、亜矢はコランに向かって申し訳なさそうにして謝る。

「ごめんね、コランくん。少しだけ行ってくるね」
「うん!!兄ちゃんとディアによろしくな!!」

今回は一緒に魔界に行けないというのに、聞き分けのいいコランは笑顔で亜矢を見送った。
そうして闇の空間に飛び込むと、一瞬で別の場所へと着地した。
そこは、魔王の自室。
魔王は相変わらず、宝石で装飾された豪華な椅子に腰掛けていた。
亜矢がこの部屋に足を踏み入れたのと同時に腰を上げ、その高い身長で亜矢を見下ろした。
亜矢は、いつもらしくない重い雰囲気が漂う魔王を見上げて、少し緊張した。
そして、話は唐突に始まった。

「いいか、これから話す事は、全て真面目な話だ」

珍しく前置きから始めて念を押す魔王の、その言葉に嘘はないのだろう。
死神から与えられた亜矢の心臓には、まるで相手の瞳から真意を感じ取る事が出来るかのような力があるからだ。

「分かったわ」

そう亜矢が答えて、しばらくの間を置いた後、魔王は静かに打ち明けた。

「コランは、オレの弟じゃねえ」

「…………ん?」

一瞬、耳を疑った。正直、何の冗談だろうと思った。
突然、真面目な顔をして、この人は何をふざけた事を言い出すのかと。

「弟じゃない……って事は………まさか、実は『妹』……とか?」

亜矢の口からも、思わず冗談を返すかのような言葉が漏れてしまった。

「そうじゃねえよ、真面目な話だっつってんだろ」

さすがの魔王も険しい表情になったので、亜矢は口を閉ざした。
次に魔王から打ち明けられた言葉も、衝撃的なものだった。

「オレには何百年も前に、人間の妃がいた」
「え………?」

それは意外な真実だったが、よく考えてみる。
確かに、何万年も生きる魔王が、その長い生涯で、一度も妃を取らなかったとは思えない。
しかし魔王はなぜ突然、亜矢に身の上話を打ち明け始めたのだろうか。疑問だらけだ。

「でも、魔王って、ずっと妃を取らなかった、って……」
「ああ。その妃が死んでからはな。オレが愛したのは、その人間、ただ一人だけだ」

意識よりも先に亜矢の心臓が反応して、ドクンと大きく高鳴った。
『愛』という言葉。そして、『ただ一人』という言葉。
魔王は何度も亜矢に『妃になれ』と迫ってきたのに。
その愛情が向けられていたのは自分だけではない事に、何か大きな違和感を感じた。

「その妃の名は、『アヤメ』と言った」

魔王からその名が告げられた瞬間、亜矢の心臓が今まで無い程に大きく鼓動した。
亜矢は思わず、その名を無意識に復唱する。

「アヤ……メ……?」

今……一瞬、脳裏に、何かの映像が映し出されたような感覚がした。
それが何かは、分からない。

「コランが魔法を上手く使えねえのは、年齢じゃねえ。人間の血が流れているからだ」

突然、魔王は話をコランの事に戻す。
何故、今日に限って、こんなに遠回しに言うのだろうか。魔王らしくない。
そう思いつつも亜矢は、この先の話を聞く事が、何故か恐くなってきた。

「コランは、アヤメとオレの息子だ。たった一人の…な」