残されたのは、亜矢の腕に微かに残る温もりと、床に散らばる銀色の羽根。
それは、リョウが確かにそこに存在し、生きた証。
亜矢は銀色に輝く無数の羽根に囲まれながら、力なく座り尽くす。
顔を伏せ、零れ落ちていく涙が羽根の上に降り注がれる。

……何故、いつも誰かが犠牲にならなければならないのだろう。

『魂の器』の儀式の時だってそうだった。
グリアか亜矢、どちらかが犠牲にならなければ儀式は成功できなかった。

『リョウくんは、何も悪くない……』

言葉にならない思いが、止まる事なく涙となって落ちて行く。
ふと、亜矢は自分の手に握られている小さな何かに気付いた。
それは、手の平に収まるほどの小さな石だった。
タマゴ型の結晶で、吸い込まれそうなほどの美しい透明感。
薄い水色のその石は、リョウの命の源の石だった。
天使とは、天王ラフェルによって創り出され、生まれてくる。
リョウの場合は、この石『アクアマリン』の結晶から生み出された天使なのだ。
命を失ったリョウは、本来の姿である石に姿を変えた……いや、戻ったのだ。
亜矢はその石に、リョウの微かな命の鼓動を感じた。
亜矢は涙を拭い、石を手に持ったまま、立ち上がった。
ゆっくりと、天王の玉座に向かって歩む。
天王も、どこか驚きを隠せない様子で瞳を開き、目の前の亜矢を見ていた。
玉座の前に立つと、亜矢は片手を振り上げた。
天王はハっとするが、振り上げた亜矢の手が震えている。
やがて、その手は振り下ろされる事なく静かに下ろされた。
亜矢は、グっとこらえたのだ。
天界の王だろうが、誰だろうが関係ない。
目の前の人を、叩いてやりたかった。
その為に、自分はここに来たのだ。
だが……今は、出来ない。他にするべき事があるからだ。

「……あたしは、あんたを許せない。でも………」

亜矢は両手の平に石を乗せ、それを天王の前に差し出した。
そして、なんと深く頭を下げたのだ。

「リョウくんを助けて………お願い」

亜矢の声が震えている。怒りの為ではない。悲しみの為だ。
深く頭を下げ、垂れた髪で亜矢の表情が隠れる。
感情も、意地も、プライドも。今は全て捨てた。
リョウを救いたい。それだけの思いで、亜矢は天王に懇願の意を見せた。
天王は、亜矢の手から石を受け取った。
そして、悲痛な表情でその石を見つめた。
亜矢はそんな天王を見て、初めて天王がリョウを大切に思う気持ちを知った。

「私は……天使に心は要らぬと思っていた」

自分に服従さえすればいい。天使とは元々、そういう存在だと思っていたのだ。
天王の静かな口調の中に、どこか辛く悲しいものを感じさせる。
この時、亜矢は、天王は王でも神でもなく、ただの人間に変わりないと感じた。

「だが……心を持っていなかったのは私の方だったようだ」




こうして、今もまた一人の少女の想いが、天界の王を動かした。
天王は、リョウを助ける事を約束した。
亜矢は天王の言葉を信じ、人間界へと帰った。






その夜、亜矢は窓辺に座り、空に向かって祈った。

リョウの命が救われますように。
明日になったらまた、いつものリョウの笑顔に会えますように。

グリアは何も言わず、亜矢の隣に居続けた。
この日ばかりは、亜矢はグリアを部屋から追い出しはしなかった。
きっと、この気持ちはグリアも同じだろうから。
それでも、天に祈るなんて行為はグリアには決して出来ないから。






運命の終着点。過酷な選択。
ここに辿り着かなければ、本当の決着は付かない。
そんな辛い結末を知りながらも、死神は突き進むしかなかった。
一度、全てを断たなければ、本当の意味でリョウは解放されないという事を悟っていた。
誰もが今回、辛い道を歩んだ。
そして今、本当の意味で死神と天使の絆は繋がった。
皮肉な事に、天使が自らの命を絶ったのと同時に。