それを聞いた亜矢は、反射的に身構えた。
その続きを聞くのが、なんだか怖い。

「口移し以外の方法って何よ……変な事じゃないでしょうね…?」
「試してやるよ」

するとグリアは亜矢の同意も得ずに席を立つ。
テーブルの向かい側に座る亜矢の横に立ち、不安げな表情の亜矢を見下ろす。
そして……亜矢の頬に片手で触れると、そっと顔を近づける。

(え……?これって、いつもの……)

いつもの『口移し』と変わらない動作だ。
見慣れた彼の銀髪、紫水晶の瞳…その全てが、眼前に迫る。
このままいけば、いつも通りの『口移し』だ。
それでも、いい。亜矢は、それを素直に受け入れようと思った。
それが『キスつわり』による衝動なのか、本心が求めているのか、分からない。
いや、もう、どうでもいい……。
亜矢が目を閉じようとした、その瞬間。
グリアの口元の軌道が、いつもと違っている事に気付いた。
ちょっと横に逸れている。唇じゃない。そこは、そこは……?

「きゃあぁぁあああ~!!?」

ドガッ!!

「でっ!?」

亜矢は反射的に、グリアを片足で思いっきり蹴飛ばした。
その凄まじい力でグリアは突き飛ばされ、亜矢の正面から離れた床に背中を打ち付けて倒れた。
グリアが首だけを起こして叫ぶ。

「て、てめえ!!本気で蹴飛ばすんじゃねえよ!!」
「だ、だ、だって…今、どこにキスしたの!?やだ、もうやだっ!!」

亜矢は、自分の左頬を片手で覆いながら赤面している。

「どこって……頬だよ!!」
「なんで、あんたに『ほっぺにチュー』されなきゃなんないのよ!?恥ずかしい!!」

なんだか亜矢の反応もおかしい。
『口移し』に慣れすぎてしまったせいで、かえって『頬にキス』の方が抵抗があるのだ。
今さら唇から頬には戻れない、謎の恥じらいである。

「本当に、これが『口移し』の代わりになるの!?」
「あぁ。『口移し』より吸収率は下がるが、その分、1日の回数を増やすしかねえな」
「い、嫌よ、そんなの!!だったら、いつもの『口移し』にして!!」

それを聞いたグリアは、ニヤリと笑った。

「なるほどな。それは『口移し』を了承するって意味か?」
「う……それは……」

『口移し』に同意、了承してしまったら負けだ、そう思っていたのに……。
だが亜矢は気付いた。
本当は、いつからか『口移し』に抵抗など、なくなっていた事に。
それどころか、求めてしまっている自分に。
これも、『キスつわり』のせいなのだろうか。

「……今はいいわよ。一生はイヤだけど……」

これが、精一杯の亜矢の答えだった。
だが、グリアの思惑は違った。
一生、亜矢を放す気などない。
だからこそ、その胸の中に『もう1つ』の決意があった。
それを後押ししたのが、『亜矢の懐妊』という誤解からきたのだが……。

「じゃあ文句ねえな。2日ぶりに頂くぜ」
「……早くしてよ」

そうして、二人はいつものように唇を……
……その時だった。

バァン!!

寝室の扉が大きな音を立てて開いた。
驚いた亜矢とグリアが同時にドアの方に目をやる。
そこには、パジャマ姿のコランが仁王立ちして頬を膨らませていた。

「あ~~!!死神の兄ちゃん、ズルい!!アヤとチューしてる~!!」

幼い子供に、堂々と見られてしまった……。
まぁ、あれだけグリアを蹴り飛ばして騒音を立てていれば、起きてしまうのも無理はない。

「なんだ、ガキは寝てろ!」
「ガキじゃない!!オレだって、毎日アヤとチューしてるんだ!!ふふん!」
「なんだと…亜矢、そうなのか!?」
「え、え~と、それは……あ、あはは……」

毎日、キスしたい衝動をコランで満たしていた……とは言えない。




結局こうして、また今日から、死神との『口移し』が再開される事となった。