グリアが帰宅しようとして、リョウの部屋の玄関から外に出る。
すると偶然、亜矢とコランが、隣の部屋の玄関のドアを開けようとした所だった。
このマンションでは、亜矢の部屋を挟んで、リョウとグリアは両隣に住んでいる。
……見つめ合う二人。なんとなく、気まずい空気になる。
そんな空気を察したのか、コランはさっさと亜矢の家の中に入ってしまった。

「亜矢……」
「死神……」

二人が同時に、何かを言いかけた瞬間だった。
亜矢は、自分の中で異様な感覚が沸き起こるのを感じた。
それは、抗えない衝動に近い。
引き寄せられるようにして、亜矢はグリアに正面から歩み寄る。
そして、一言。

「口移し……して」

それは、亜矢からの『口移し』の催促。
普段は抵抗し反抗するはずの『それ』を、亜矢の方から催促するとは……
だが、グリアは冷静になる。
今日は、まだ『口移し』をしていない。
きっとこれも、『早く済ませて』のニュアンスに違いない。

自分が生きる為には、どうしても亜矢の『命の力』が必要だ。
毎日の『口移し』は、必要不可欠。
しかし、それが原因で、亜矢が……
グリアは先ほどのリョウとの会話を思い出し、葛藤していた。
それでも、今さら後には引けない。

「あぁ……」

一言だけ返すと、グリアはいつものように、『最低限の』触れ方で口付ける。
亜矢の神経を逆なでない、形式としての『口付け』だ。

(死神……なんで、そんな控えめに……)

亜矢は違和感を覚える。
何度も交わしたグリアとの『口移し』が、何か違う。
いや……変わってしまったのは、自分の方だ。

(もっと……してほしい……)

亜矢は、確かに『物足りなさ』を感じていたのだ。
ようやく離れても、亜矢はグリアから視線を逸らさない。

「死神……足りないよ、もっと…して」
「……亜矢?」

亜矢にとって不本意な『口移し』を、何度も求めてくるなんて事は異常だ。
亜矢はハッとして、ようやく自分の異常な言動に気付いた。
途端に恥ずかしくなり、亜矢は急いで自宅の玄関のドアを開けて中に逃げ込んだ。

(あたし、どうしたの!?何言ってるの!?)

玄関のドアを背にもたれかかり、激しい動悸と呼吸を整える。
グリアに対して起きた『もっとキスしたい』という衝動に戸惑っていた。
何故だろうか?
あんなに抵抗のあった『口移し』なのに……。
アヤメの懐妊を知って、何かを意識してしまったから?
死神の『口移し』が、いつもと違ったから……?
しかし真実は、そのどれでもなかった。
亜矢はまだ、自分の身に起きた『何か』の正体を知らない。