「おい、起きろ」

聞き慣れたその声で、亜矢は目を覚ました。
ハっとして起き上がると、目の前にはじっと無表情で自分を見るグリア。

「あれっ!?ここ…ベッド?それに………朝??」

いつの間にか眠ってしまった事にすら気付いていない亜矢は、寝起きもあって少し混乱気味である。
隣ではコランが布団をかぶったまま、まだ熟睡している。
グリアは少し呆れたような目をしつつも、亜矢の目の前にプリントの束を差し出す。

「ほらよ。昨日のプリントの残り、やっておいたぜ」

え?と、亜矢はグリアの顔を見る。
素っ気無い言い方ではあるが、どこか優しさが含まれている。

「……死神が?」
「他に誰がいんだよ」

亜矢は驚きながらも、プリントの束を受け取る。
まさか、あの死神がここまでしてくれるなんて―。
信じられない気持ちもあるが、今は何よりも嬉しい。
亜矢は、その嬉しさから自然と笑顔を作って、グリアを見上げた。

「…ありがとう!!」

いつもなら素直に出せない言葉が、自然と出て来た。
グリアは照れを隠す為か、少し顔を背けた。

「さっさとメシ作れ。で、とっとと学校行くぞ」






学校に行くと、亜矢は朝一番で魔王に課題の山を提出した。

「へえ、まさか本当にやるとはな。ざっと1クラス分あったんだぜ?」

魔王はプリントの束に目を通しながら、感心と言うよりも驚いている様子だ。

「そんなにオレ様からのご褒美が欲しかったのか?」

魔王は満足そうに笑いながら、亜矢の頭に手を置いて軽く撫でた。

「……コランくんの為です!!」

まるで子供扱いされてるようで、亜矢はムっとして否定しながら魔王を見上げる。

「いいぜ。約束通り、いいモノをくれてやる。今日の夜8時に迎えに行ってやるよ」
「?」

意味が分からず、亜矢はキョトンとした。
ご褒美というのは、何かをくれる訳じゃなくて、どこかに連れて行く、という意味なのか。
結局の所、魔王は亜矢が課題を出来ても出来なくても、同じご褒美を与えるつもりであった。

「楽しみにしてな……」






そうして、その日の夜8時。
予告した通りの時刻に、マンションの亜矢の部屋に魔王が訪れた。
亜矢とコランは、すでによそ行きの服装で魔王を待っていた。
それと、もう一人。グリアも亜矢の部屋に上がりこんでいた。
魔王は亜矢の部屋に上がるなり、グリアの姿を見て睨み付けた。

「……ああ?なんで死神もいるんだぁ?てめえは呼んでねえが?」
「うるせえ、てめえなんかに亜矢は預けらんねえんだよ」

いやいやアンタ、あたしの保護者じゃないんだから…と亜矢は脳内ツッコミを入れた。
いかにもグリアを邪魔者扱いする魔王。
敵意むき出しで、魔王をまるっきり信用してないグリア。
二人とも口調が似てるから、ケンカ腰で言い合うと恐ろしい。
亜矢はちょっと焦りながらも、なだめるようにして魔王に言う。

「本当は、あの課題はほとんど死神がやってくれたのよ。だから…一緒に行かせて?」

亜矢に上目づかいをされると、さすがの魔王も弱くなる。
小さく舌打ちをすると、背中を向けた。

「それで兄ちゃん、褒美って何だよ?」

この状況を分かってるのか分かってないのか、コランは相変わらず無邪気だ。

「ああ、待ってな。今から招待してやるぜ」

そう言うと魔王は突然、亜矢の部屋のクローゼットの両扉を勢いよく開けた。

「ちょっ!何してんの!?」

亜矢は魔王の側まで寄るが、開かれたクローゼットの中身を見た瞬間、別の驚きで声を失った。
クローゼットの中には、闇の空間が渦巻いていたのだ。
それは、飛び込めばどこか違う次元へと繋がるような深い闇。

「ここに、魔界への入り口を繋げた。あんたを魔界へ招待してやるぜ」

魔王は魔界の王らしく誇らしげに言うが、亜矢はポカン、として見ている。
え、えーと……勝手に人の家のクローゼットに魔界を繋げないで欲しいんだけど…。
そんな事を思う亜矢よりも先に反応したのはコランだった。

「アヤと一緒に魔界へ行けるのか!?」
「嬉しいか、弟?」
「うん!!」

嬉しそうにするコラン、満足そうに笑う魔王。
ようやく冷静になった亜矢は、少し疑問に思った。

「あ、でも悪魔って人間と契約してる間は魔界へ帰れないんじゃあ?」

亜矢は、コランにとって初めての『契約者』なのである。

「弟の事か?魔界に帰る訳じゃねえ、一時帰国だ」

ふーん、そういうものなのか……と、どこか適当でこじつけっぽい魔王の回答を深く気にしなかった。
そうして、亜矢はコランに背中を押されるようにして魔界への入り口に飛び込んだ。
一番最後に、グリアがどこか真剣な顔つきで魔界の入り口へと足を踏み入れる。
何か、嫌な予感がするのだ。まして、行き先は魔界だ。
決して、亜矢から目を離す訳にはいかない。
そう思うのは何かの使命感か、それとももっと別の感情か――。