文芸誌の新人賞を受賞して作家としてデビューを果たしたわたしは新人としてはそこそこの売上を記録したことに浮かれていた。それだけでなく、他の文芸誌からも原稿の依頼が来て、いくつかの連載が始まるという幸運に恵まれた。更に、小説だけでなくエッセイや作詞の依頼まで来るようになった。しかし、思い描いていた贅沢(ぜいたく)な暮らしができるほどの印税収入はなく、プロの作家として生活していくことが容易ではないことも実感した。
 そんな時、ある本に出合った。『作家の投資術』という本だった。それは、権威のある文学賞を受賞して華々しい活躍をした作家が書いた本だった。彼は受賞当初は大きな注目を集め、受賞作品はもちろんのこと過去の出版本も売上部数を伸ばしていった。しかし、それがいつまでも続くことはなかった。次第に本が売れなくなると、将来に不安を持ち始めた。その時考えたのが株式投資によって生活を支えるということだった。
『作家に生活保障はありません。原稿依頼がいつ来なくなるかもわかりません。ですので、作家としての収入が途絶えた時のために保険を掛けておくことが必要なのです』
 わたしはこの個所を何度も読み返した。確かにその通りだった。作家にはなんの生活保障もないし、常に仕事があるとは限らない。だから、今のうちに副収入の道を見つけておかなければならない。わたしはその本を熟読し、更に、株式投資について書かれた本や雑誌、会社四季報などを読み込んだ。そして、手数料が一番安いネット証券を選んで株式投資に着手した。
 初めて買った株は配当が5パーセントの自動車株だった。100万円分買った。1年後には5万円の配当が入る。金利がゼロに近づいている今、5パーセントは夢のような利率だ。しかし、よく考えてみると、5万円では生活の足しにはならない。といって売却益は余り期待できない。この会社は値動きが少ないのだ。そこで、配当だけで生活するためにはどのくらいの株を買わなければならないのだろうかと考えてみた。すると、1億円という試算結果が出た。それだけ投資すれば配当が年間で500万円になり、2割の税金を引かれても400万円が手元に残る。月に換算すると33万円だ。これでやっと普通に生活できることになる。しかし1億円という金に縁があるはずもなく、考えることさえバカバカしくなった。配当重視から値動き重視に考えを変えた。
 狙いを付けたのは機械翻訳(ほんやく)の会社だった。AIを駆使して英語など主要外国語の自動翻訳精度を飛躍的に高めた製品の開発に成功していた。ビジネスの国際化、訪日外国人の増加、人手不足などの環境を考えると、かなり有望だと思った。
 行動あるのみ!
 即、100万円分買って、値動きを毎日チェックした。
 1か月後、四半期決算の発表があった。新製品の売上が絶好調で大幅な増収増益だった。あれよあれよという間に株価は40パーセントも上昇して140万円になった。
 躊躇わず売った。儲けは40万円。税引後でも32万円だ。パソコン画面でその金額を確認した時は異様なくらい興奮した。1か月で32パーセントの儲けなのだ。年率にすると384パーセントになる。
 ワォ! なんてことだ。やめられない、とまらない♪
 わたしは天にも昇る心地になった。
 その後は当然のように値動きの激しい新興株の投資にのめり込んだ。最初のように一企業だけでがっぽり設けることはできなかったし、思惑に反して一時的に株価が下がるものもあったが、それでも毎月15万円以上稼ぐことができた。
 しかし、株式投資にはまり込むのを戒めるかのように原稿依頼が減ってきた。連載が1つになってしまったのだ。それは、手にする原稿料が大幅に少なくなることを意味していた。焦った。といって編集者に泣きつくことはできない。原稿依頼を増やすためには魅力のある小説を書くしかないのだ。しかし、株式投資を止めて執筆に専念するのは怖かった。株の売買による儲けがなければ今の生活を維持することが難しくなるからだ。
 どうすればいいか? 
 考えるまでもなかった。原稿料収入の減少を補うためには更なる投資収益を上げなければならない。迷わず信用取引に手を出すことを決断した。しかしそれは素人の投資家にとって禁じ(・・・)と言われているものだった。今まではすべて現金で売買していたので損をしても手持ちの金が減るだけで借金を背負うというリスクはなかった。しかし、信用取引は違う。大きな取引ができる反面、大きなリスクを背負い込むことになる。破産から人生崩壊へとつながるリスクだ。
 信用取引とは、証券会社に保証金を預けることによって保証金の約3.3倍までの取引をすることができるものである。つまり、100万円の保証金を預ければ330万円までの取引ができることになる。少ない自己資金で大きな商売ができることから、レバレッジ((てこ))とも呼ばれている。言い換えれば、他人の(ふんどし)で相撲を取ることができるのである。ただ、信用取引で購入した株が基準を超えて値下がりした場合は追証(おいしょう)とよばれる追加の保証金を払わなければいけないことになっている。更に、信用で借りた金は6か月以内に証券会社に返済する義務がある。もし利益が出なくても6か月経ったら全額返済しなければならない。その場合、損が発生する可能性があることを頭に入れておく必要がある。つまり、うまくいけば大きな儲けを手にできるが、最悪の場合は大きな借金を背負う可能性があるということだ。
 わたしはリスクに目を瞑り、大きなリターンの可能性に賭けることにした。株式投資を始めてから一度も損をしたことがなかったので、自分には才能があると思っていた。だから、大きな勝負をしたかった。負けるとは露ほどにも思わなかった。