わたしの名前〈叶夢〉に込めた両親の願いは知っていたし、そこに2つの想いが込められていることもわかっていた。
 ・この子の夢が叶って幸せな人生が送れますように
 ・才高家が永遠に続くという夢が叶いますように
 わたしが家を継げば名前に込めた両親の想いは2つとも成就するが、そうでなければ2つ目の想いは叶えられないことになる。才高家の歴史は終わってしまうのだ。しかし……、
 あの日から、そして、進学してからも、夏休みや冬休みで帰省したわたしを仕事場に連れて行かなくなった。宮大工の技を教えようとしなくなった。わたしに才高家当主を継がせることを父は諦めたのだ。
 一方、妹は今までと同じように父の仕事場で見様見真似を繰り返していたようだが、父が指導することはなかったらしい。母は黙ってこの状況を見守っているように見えた。
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 わたしは論理的思考が苦手で数学も物理も化学も大嫌いだった。自分には左脳がないと思っていた。その代わり、芸術性と直感を司る右脳は異常に発達していると確信していた。本を読んだり、文章を書いたり、絵画を見たりすることが大好きで、何時間でも没頭することができた。特に文章を書くことには自信があったので、迷わず文学部を選び、本格的に小説を書き始めた。すると、大学3年生の時に幸運にも文芸誌の新人賞を受賞することができたのだが、そのことを知った父は自ら妹を仕事場に連れて行き、その覚悟を確かめた上で親子の関係は一切忘れるようにと告げ、自分のことを棟梁と呼ぶようにと言ったらしい。
 妹は高校を卒業すると同時に宮大工の道に入った。そこには厳しい修業が待っていたはずだが、嬉々としてこなしていったようだ。持ち前の器用な手先と寝食を忘れるほどの努力によってどんどん腕を上げていったらしい。わたしが新人賞受賞とマスコミの取材に浮かれていた時、妹は地道な努力を積み重ねていたのだ。
 東京で小説家の道へ進んだわたしと京都で宮大工の道に進んだ妹が交わる時があるのだろうか?
 当時はぼんやりとそんなことを考えることもあったが、ほとんどの場合、意識は自分だけに向いていた。