取材初日は社長へのインタビューから始まる。会社を知るためには社長の想い、考え方などを知らなければならないからだ。与えられた時間は1時間。その中で、これは、というものを引き出さなければならない。
 初仕事ということもあって、緊張は半端なかった。口の中がカラカラに乾いて、口腔粘膜が死滅するのではないかと思えるほどの状態だった。なので、清楚な感じの秘書が出してくれた麦茶をすぐに手に取って一気に飲んでしまった。
「お待たせしました」
 社長が応接室に入ってきたが、引き締まった顔と体を見て少し驚いた。わたしの知っている経営者はほとんど丸顔・小太りで、それ以外のイメージはなかったからだ。
 名刺交換が終わるや否や結城が早速シャッターを押した。それが意外だったのか「もう撮るのですか?」と驚いたような声を出した社長に、「自然な表情を撮らせていただきたいのでカシャカシャやりますが気にしないでインタビューをお受け下さい」と結城は落ち着いた口調で返した。彼女は自己紹介の時にまだ経験が少ないと言っていたが、場慣れしたベテランのような振舞いで頼もしく感じた。だから緊張がほぐれてきた。
「今年で創業30周年と伺いました。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
 社長は嬉しそうに頬を緩めた。
「先ず、創業当時のことを伺いたいのですが、この会社を創業しようと思った切っ掛けを教えてください」
「私が自信を持って薦めることができるスキンケア製品を作りたかったからです」
「自信を持って、ということは……」
「実は、この会社を始める前は大手の化粧品会社に勤めていました。担当は広告宣伝で、テレビや女性誌などでスキンケア製品を宣伝をするのが仕事でした。運が良かったせいもあって担当した製品はどれも結構売れたので社内での評価は高く、仕事には満足していました。しかし自社品は私や妻の肌に合わなかったのです」
「ということは」
「そうです。他社のスキンケア製品を使っていました。でも残念ながら私たちの肌にピッタリ合う化粧品はありませんでした」
「それはお辛いですね」
「辛かったですね。ですので、なんで自分と妻の肌に合わないのか色々調べました」
「何かわかったのですか?」
「いえ、具体的な原因はわかりませんでした。しかし私も妻も肌が敏感でいつもカサカサしていましたので、私たちの肌に合う化粧品が限られているのかもしれないと思い始めました」
「それで」
「それで自分たちに合う化粧品を自分たちで開発しようと考えたのです」
「なるほど。でも会社に提案することは考えなかったのですか?」
「考えませんでした。当時、会社では敏感肌向けの化粧品は扱っていませんでしたし、30年前には敏感肌用化粧品市場自体が立ち上がっていませんでした。そんな状況で『敏感肌向けの化粧品を開発したい』と提案しても誰にも相手にされないと思ったのです」
「だから自分でやろうと」
「そうです。独立を決意しました」
「でも独立といっても」
「はい。大変でした。まだ若かったので退職金も僅かでしたし、たいした貯金もありませんでした。だから資金繰りの心配をいつもしていました」
「奥様は反対されなかったのですか?」
「はい。ありがたいことに応援してくれました。『私たちのように肌に合わない化粧品で困っている人が全国にはいっぱいいるから、その人たちが使える化粧品を作りましょう』と言ってくれたのです」
 それを伺って〈なんて素晴らしい奥様なんだろう〉と興味を覚えたのでもっと突っ込んで訊きたかったが、限られた時間の中では難しいと判断してその誘惑を振り払い、社長自身に対する質問に集中した。
「ご自分で作られたのですか?」
「いえ、私は広告宣伝畑の人間なので化粧品の処方を組むことはできません。ですので化粧品開発受託会社に頼みました」
 今も付き合いを続けているというその会社のパンフレットを机の上で広げて社長が話を続けた。
「自分の肌が敏感でカサカサしていることを伝えて、低刺激性で、かつ、保湿力のある処方を頼みました。刺激が少なく、潤いのある成分を選んで処方を組んでもらったのです。そして、出来上がった製品を私と妻の肌で試していきました。何度も何度も。やっと自分たちの肌に合う化粧品に巡り合えたのは、試作番号88番の化粧水でした。その時の感動は絶対に忘れることはありません」
「88番というと」
「1年かかりました。長かったです、本当に。長いだけでなく、資金も底をついて……」
 それを聞いてお金の工面に走り回っていた当時の自分の姿が思い出された。そのせいか、「失礼ですが、その時の生活は?」と口走ってしまった。すると一瞬にして社長の顔が曇ったのでちょっと焦ったが、声が途切れることはなかった。
「起業することがこんなに大変だとは思いませんでした。常に資金繰りに悩まされました。わずかな蓄えと退職金で創業したのでまったく余裕はありませんでしたし、私は無収入ですので妻に頼りっきりでした。彼女の月給だけで生活したのです。ボーナスには一切手を付けず、それをすべて事業費用に回しました。それでももっと切り詰めないと事業を継続できないことは明白でした。だから悩んだ挙句、実家に居候させてもらいました。その時住んでいたマンションの家賃だけでなく電気代もガス代も水道代も負担になっていたからです。親に迷惑をかけることはわかっていましたが、他に選択肢はありませんでした。実家の2階に荷物を運び入れた時は自立できない子供に舞い戻ったようで複雑な気持ちになりましたが、でも私はまだマシです、実家なのですから。それに比べて妻は肩身の狭い思いをしたと思います。実の親ならまだしも夫の親の家に居候するのですから。でも愚痴一つ言わず妻は耐えてくれました。というか、いつも明るく振舞ってくれました。『そのうちいいことあるわよ』って私を励ましてくれたのです」
 そこで一瞬目元が緩んだが、それはすぐに消えて厳しい表情になった。
「でも、そんなに簡単にいいことは起こりませんでした。納得できる製品が出来上がったあとも、多くの難題が待ち構えていました。開発が終わってもすぐに発売できるわけではないのです。製造販売許可を取得する必要があるのです。しかし私にはその経験もノウハウもありませんでしたので、当初は化粧品開発受託会社のブランドとして製造販売許可を取得してもらって、その製品を仕入れて販売することにしたのです。こういう状態でしたから開発が終了してから発売にこぎつけるまでには更にかなりの期間を要しました。その間にもお金はどんどん出て行きます。私はお手上げの状態になりました。遂に資金が底をついたのです。これで終わりだと観念しました。妻とも相談して断念することに決めたのです」
 そこまで追い詰められたんだ……、
 わたしは社長の目をまともに見られなくなった。
「先ず母にそのことを打ち明けました。父と向き合うためには母の協力が必要だったからです。母は黙って私の話を聞いてくれましたが、話し終わると、何も言わず部屋を出て行きました。どうしたのだろうと思っていると、しばらくして何かを持って戻ってきました。なんと私名義の通帳とカードでした。印鑑までありました。それらをテーブルに置いて母の実家のことを話し始めました」
 母親の実家は薬屋を営んでいた。薬屋といっても薬局ではなく製薬会社で、それも日本一古い歴史を持つと言われている製薬会社だった。創業は1650年で、300年を優に超える歴史を誇る会社だった。大阪で創業したその会社は、当初、皮膚病の薬を扱う卸として出発した。取扱薬のほとんどは漢方薬だった。その後、長らく卸売業をしていたが、大正になった頃、研究所と工場を建設してメーカーとして歩み始めた。研究が軌道に乗ると自社の研究所から数々の皮膚病薬が開発されるようになった。性病の薬、水虫の薬、火傷の薬、蕁麻疹(じんましん)の薬、接触性皮膚炎の薬、アトピー性皮膚炎の薬、皮膚がんの薬、肝斑(かんぱん)(しみ)の薬を次々と上市(じょうし)し、多くの患者を救っていった。しかし、業界各社間での競争が激しくなると規模に勝る会社に太刀打ちできなくなり、創業330年を迎える記念すべき年に大手製薬会社に買収された。その結果、婿養子になって社長を務めていた父親は引退に追い込まれ、社名からも創業家の名前は消えていった。
「母は『残念ながら会社は買収されて社名も消えてしまいました。でも、あなたには創業家の血が流れています。皮膚病で苦しむ多くの患者さんを助けてきた創業家の血が流れているのです。あなたが起業すると言った時、お父さんが大反対だったので表には出せなかったけど、私は秘かに応援していました。敏感肌で困っている人が使えるスキンケア製品を作りたいとあなたが言った時、心が震えました。私の血が、創業家の血が、あなたに脈々と流れていることを確認できたからです』と言って、通帳とカードと印鑑を私の方へ差し出しました。そして、『私の祖先が会社を創業したのは300年以上前のことです。でも、それより遥か昔からなんらかの薬を手掛けていました。それは皮膚に関するお薬だったに違いありません。だからあなたには300年よりはるか昔、もしかしたら古の時代から受け継がれた血という名の意志が流れているのです。皮膚病で苦しむ人を助けたいという古の先祖の意志です。だから、諦めてはいけません。投げ出してはいけません。あなたには創業家の意志を受け継ぐ責任があるのです。古から綿々と引き継がれた意志を守る責任があるのです。あなたは〈守り人〉になるのです』と強く見つめられました。その瞬間、古から続く悠久の歴史が注ぎ込まれたと感じましたし、なんとしてもやり続けなければならないと思いました。事業を続ける覚悟ができたのです」
 わたしは感銘を受けてジーンとしてしまったが、その時、ドアをノックする音が聞こえて、秘書が部屋に入ってきた。次の予定を知らせに来たのだ。あっという間に約束の1時間が過ぎていた。
 秘書に頷きを返した社長が腰を浮かせたのを見て、わたしは焦った。まだほんのさわりしか聞けていなかった。これでは会社案内は作れない。
 どうしよう、
 視線が結城に助けを求めた。しかし心配そうに見つめ返すだけだった。どうしようもなくなったわたしは途方に暮れたが、「明日また来てください。続きをお話します。可能な限り時間を取りますのでご心配なく」との社長の声で救われた。思わず気が抜けたようになったが、いつまでもそうしているわけにもいかないので、秘書とスケジュール調整をしたあと、いくつかの部門の取材を済ませて本社を出た。
 
 結城とは駅で別れた。最寄り駅で降りて自宅へ向かう途中、スーパーに寄って食料品を買う予定だったが、ボーっとしたまま店の前を通り過ぎてしまった。何も見えていなかった。意識があること(・・・・)に(とら)われていたからだ。それは社長から聞いた2つの言葉が原因だった。『古から引き継いだ意志』と『守り人』。その言葉がどんどん大きくなって頭からはみ出しそうになった。すると父親の顔が脳裏に浮かんだ。とても厳しい表情だった。
 オヤジ……、
 わたしは唇を噛んだ。