衣替えして間もない六月のある日。
私、古賀楓花は学校の部室で一人、折り紙を折っていた。
ああ、もう! なんで一人でこんなにいっぱい作らなきゃいけないの!
来月ある学校行事の七夕。
毎年七夕の日には、生徒たちから集めた願い事をつけた笹の葉を昇降口に飾っている。
その笹の葉につける折り紙飾りを作ってほしいと、生徒会から頼まれていた。
別に折り紙をする部活じゃないんだけどなあ、とは思ったけど断ることもできず。
部員が私一人しかいないこの文芸部に、部室とわずかな予算を与えてもらっているんだからしょうがない。
まだ星飾りを何個か作っただけなのに、すでに飽きていた。
残りの折り紙の山を見てうんざりしてしまう。
その時、廊下の方が騒がしくなった。
バタバタと廊下を駆ける音が聞こえたかと思うと、部室の扉が急に開いた。
ガラガラ!
慌てて入ってきたのは一人の男子生徒。
長身でモデルのように手足が長く、さらさらなミルクブラウンの髪に整った顔。
突然のことに、私が目を見開いていると、彼がこちらを見た。
「あ、人いたんだ! まあいいや。お邪魔します!」
室内に響く甘いハスキーボイスに、いきなり耳をくすぐられる。
彼は勝手なことを言いながら、部室の隅に立てかけてあった七夕用の笹竹の後ろに身を隠した。
え? なに? 勝手に入ってきてどういうつもり?
あっけにとられていると、またもや廊下を駆ける足音が聞こえてくる。
その後、すぐに何人かの女子生徒がぞろぞろと部室に入ってきた。
ええ? また?
見たことない顔ぶれ、リボンの色からして彼女たちは一年生だ。水色を基調としたセーラー服をきちんと着こなしている。
「ここじゃない? 違うかなあ?」
「あ、やば、先輩だよ」
あっけにとられている私を見て、彼女たちはペコリと頭を下げる。私が二年生だとわかったらしい。
「あの……ここに男子きませんでした?」
「背高くて、めちゃくちゃカッコいい人です」
さっきの彼のことだとすぐにわかったが、私は口をまっすぐに結び首を横に振った。
「来てないかあ……」
「どこ行ったんだろね」
「行こっか。部活始まっちゃう」
女子生徒たちは「失礼しましたー」と軽い調子で謝って出て行った。
急に入ってきて何? 一言文句でも言ってやればよかったかな。
そして部室がまた静寂に包まれた時。
「行ったかな? ああ、よかった。見つからなくて」
おどけたように笑うその姿を見て、自然と背筋が伸びる。
まってまってまって、かっこよすぎるって!
彼は私をまっすぐに見つめてくるもんだから、フッと目をそらして前髪を手で直した。
さっきチラッと見た時から思ってたけど、キラキラとしたオーラを放つ彼の佇まいはまるで王子様のよう。
身長はたぶん180cmを少し超えたくらい。シュッとした細身の体格だけど、ほどよく筋肉が付いていて男らしさもある。
そして、完璧なまでに整ったその顔は、一度見たら忘れないくらいのイケメンだった。
こちらを見下ろしながらゆるっと立っているその姿を、私は吸い込まれるように見つめていた。
「黙っててくれてありがと。助かったよ。あの子たちしつこくって」
「……い、いえ」
やれやれと言った表情で気だるそうにつぶやく彼。キレイな顔なのに毒づく姿に親近感が湧いてしまう。
ヤバい。喋っちゃった。
今私、どんな顔してるんだろ。
「ねえ、君ここで何してんの?」
「はい……? え、私?」
「ん、君以外、いないでしょ」
「部活……です」
「あは、どうして敬語? 同じ二年だよね」
彼の上履きの色からして同じ学年っていうのはわかったけど、その大人びた雰囲気に圧倒されてどうしても言葉遣いが丁寧になってしまう。
「部活……ってここ何部?」
「ぶ、文芸部……」
ダメだ。緊張する……。
ただでさえ男の子と喋ったことなんてろくにないのに、こんなカッコいい子相手なんて。
もともとなかったコミュ力がさらにしぼんでしまう。
「なに、ブンゲイ部? って何? 何する部活?」
そこまでマイナーだったっけ、と肩を落とす。
改めて訊かれると、答えに困る。興味がない人からしたらたしかにわかんないか。
「えっと、本読んだり、書いたり……。あとはいろいろ、日本の文化学んだりとか」
「ええ! ニッポン! へえ、おもしろそう。ニッポンのこと、勉強できるんだ。いいねえ!」
「えっ……?」
彼の思いもよらない言葉に私は耳を疑った。
私が言うのもなんだけど、日本のことを勉強することに何の魅力を感じるのかわからない。
「ねえ、見学してってもいいの?」
「え、ホントに、言ってます?」
「ほんとほんと。僕も君といっしょだよ。日本のことをもっといろいろ知りたいんだよね」
彼はまっすぐにそんなことを言うものだから、反応に困ってしまった。
私はそんなに志高く活動してるわけじゃない。
なんとなくゆるそうだから入っただけ。部室でマンガも読めるって聞いたし……。
その後、先輩たちが抜けて一人になってしまい、私がいないと廃部になるからやめれなくなった。
「僕、この前までイギリスに住んでて、最近日本に来たんだ」
彼の唐突なカミングアウトに思わず声を張った。
「ええ! そ、そうなんですか!」
そういえば、国際科にこの春からイギリスからの帰国子女が編入してきたというウワサを聞いたことがある。
私のいる普通科とは校舎が違うため、今まですれ違ったこともなかったけど。
「そう、だから日本のことはあんまり知らなくてね、いろいろ知りたいなあって、思ってたんだ」
そういうことなら話はわかる。
私たちにとっては当たり前のことも、彼にとっては異国の文化。
どれも新鮮に見えることだろう。
「ごめん。自己紹介するね。僕は天坂詩音っていうんだ。よろしく」
さわやかに微笑む彼の顔を見て、胸の鼓動が高鳴る。
「君は? なんていうの?」
「こ、古賀、です」
「古賀ちゃん? それは名字? ファーストネームは?」
「古賀楓花、です」
「へぇ、かわいい名前。じゃあ……楓花ちゃんって呼んでいい?」
はい???
急にかわいいなどと言われて、顔から火が出そうになった。もちろん私の容姿のことじゃなくて、名前のことだっていうのはわかるんだけど。
それに、初対面で男の子に急に名前呼びされるのって今までの人生じゃありえないんだけど。イギリスだと普通のことなのかな?
どうしよう。わかんないよ。
「お、あ、す、好きに、お好きにどうぞ」
緊張して頭がバグりそうだった。
「ここ、座ってもいいかな?」
「ど、どうぞ」
ボソッと返し、もう一度前髪を直す。
彼は私の向かい側の席に腰を下ろし、机の上の物に目を輝かせている。
「ねえ、楓花ちゃん。今は何をしてるところ?」
「折り紙……」
ちゃんと答えてあげたいのについついあっさりした返事をしてしまう。
視線を手元の折り紙に落とす。
ダメだ。顔をちゃんと見ることができない。
こんな時、やっぱり自分のコミュ力の低さを呪ってしまう。
ちゃんと目を合わせなきゃ失礼なのに。
「あ、折り紙ね! わかるよ!」
「ほんと!?」
折り紙を知っていることが嬉しくて顔を上げると、彼とバッチリ目が合った。
近い。近いよ。
ほんの一、二秒、その瞳に釘付けになる。
彼の瞳は榛色にきらめいていた。
一瞬カラコンかと思ったけどたぶん違う。
「小さい頃にやったことあるんだ。ママは日本人だからね、教えてもらった」
「そっか。そうなんですね」
「ねえ、何を作ってるの?」
彼は真剣な眼差しで、私の手元を見ている。
「いろいろ……です。えっと、これはお星さま。これをたくさん作って、あそこに飾るんです」
私は部室の隅っこに立てかけてある笹竹に目をやった。先ほど天坂くんが隠れていたものだ。
「へえ、ええ、そうなんだ。おもしろいなあ。あれは、あれはなんていう植物?」
「笹ですね」
「ササ? ササ、ササか……」
「はい。七夕ってわかりますか?」
「えっ、たなぼた!」
「た、たなばたです!」
「え?」
「た・な・ば・た」
「ああ、たなばた。日本語って難しいなあ」
ケラケラと笑う天坂くん。
その笑顔が本当に眩しすぎて、言葉を失ってしまう。
「七夕っていうイベントで使うものなんです」
「ふーん、タナバタ、かあ」
顎に手をやって考えるしぐさをする天坂くん。どんなポーズをとっても様になっている。
ミルクブラウンの髪はとてもツヤがあってさらりとしている。顔のパーツはどれも整っていて中性的な感じだ。
なんだか見てるだけでクラクラする。
私は緊張をごまかすために折り紙を一枚手に取って、最初の折り目をつけた。
「器用だね。すごい」
「そそそ、そんなことないです!」
彼と目を合わせることができずに、てきぱきと紙を折っていく。
そして完成。
星の形に仕上げたものを、少し得意げに掲げてみせる。
「出来上がり、お星さまです」
「わぁお! すごい! かわいい! ティンクルスターだね」
発音は英語のそれだった。間近で聞くネイティブな発音は耳にとても心地いい。
「ねえ、僕にも教えて」
「は、はい」
子供のように無邪気な天坂くんを見て、少し口元がニヤけてしまった。彼のおねだりに対して、私は自然に黄色の折り紙を一枚手渡していた。
「じゃあ、星作ってみますか。ここを、こうして……」
「うん、うん……」
「こうやって、折って、ここをこう、折ります」
「待って待って、早い早い」
「あ、ごめんなさい!」
「ねえ、反対だとよくわかんない。隣にいっていい?」
「え、うん。え、え……」
私が戸惑っているのを気にもせずに、天坂くんは立ち上がってこちらへ移動してくる。慌てて隣の席をふさいでいたカバンをどける。
隣に座る天坂くん。一つ一つの何気ない動作が、本当に美しい。
近い近い近い。
さっきよりも距離がいっそう近くなって、体の芯が熱くなる。
隣からふわっと甘い香りが漂ってくる。不思議な香り、外国製のシャンプーなのかもしれない。
こんなの身が持たないよ。
私の心臓の音、聞こえてるんじゃないかって心配になる。
自分の髪を両手で整えながら、椅子に座りなおした。
「で、どうするの? もっかい、教えて」
「はい」
私はさっきと同じ工程を、今度はもう少し丁寧に繰り返す。
「わかりますか?」
「うーん、これでいいのかな」
「あ、いえ、ちがう」
とっさに手を伸ばすと、つい彼の指に触れてしまった。
「あ、ご、ごめんなさい」
「ん、いいよいいよ」
初めて触れた男の子の手。すらっとした彼の長い指は作り物のようだけど。
しっかりと熱を感じた。
「楓花ちゃんの指、とってもキレイ」
さらりとそんな言葉をかけてくるから、動揺して折り目がずれてしまった。
今まで男の子とこんな距離でしゃべったこともないし、こんなお世辞みたいなこと言われたこともないから、なんて返せばいいかわからなくて変な間があいてしまう。
最後の折り目をつけて、星飾りが出来上がる。
ちょうど彼も作り終えたところだった。
「あ、そうですそうです! すごい」
「よし、できた!」
天坂くんは星飾りを顔の横にあげて、にんまりと笑う。それを見て私も自然と微笑んだ。
「あ! 楓花ちゃん、初めて笑ったね!」
とっさに口元をおさえる。
「笑った顔、いいね」
これはムリ。本当に心臓に悪い。
「あ、あの! さっき、どうして追いかけられてたんですか?」
恥ずかしさのあまり、私はとっさに話題を変えた。
「ん、ああ、あの女子たち? なんか合唱部に入らないかって、ずっと誘われてるんだ」
どうやら天坂くんは合唱部の子たちにスカウトされていたようだ。
「そうなんですね。歌うまいんですか?」
「いや、歌じゃなくて、こっちの方」
そう言って、彼は空気中で鍵盤を弾く仕草をしてみせる。
「え、ピアノ!? すご……でも断ったんですか?」
「うん。家でも学校でもピアノ弾くなんて、いやになっちゃうよ」
そういうものらしい。
「でもすごいです。スカウトされるくらいの実力なんですね」
「別にそんな。ただ何度も断ってるんだけど、しつこく誘われるん──」
彼はそこまで言うとハッとした顔をした。
「そうだ! 僕この部活に入ろっかな!」
「え……。えー! どうして……」
突然の宣言に私は動揺を隠せないでいる。
「だって、ここに入ればもう誘ってこないと思うし。だから決めた。入部するよ!」
「いや、そ、そんな、急には……」
「部長はどこ?」
「私ですけど」
「そうなの? 部員は募集してる?」
「……はい」
「よし、じゃあ決まりだね! 今日からよろしく、楓花ちゃん」
こうして天坂詩音くんは、部員が私一人だけだった文芸部に強引に入部した。
入部を断る理由はまったくなかった。むしろ募集していたくらいだから。
生徒会からも部員一人の部活に予算と部室をつけるのはまずいと遠回しに言われていたし。
だが、まさかこんな急に、しかもイケメン男子と二人きりで活動することになるなんて夢にも思わなかった。