家族(かぞく)、友達、恋人。周りの人たちはみんな、大切な人と来ている中で……たった一人、()べたに座っている彼女がいた。
 知ってる顔だった。ボーイッシュな見た目をしているけれど、同じクラスの女の子、(いばら)コハクさんだ。
 いつも学校で見る茨さんは、先生にも反発(はんぱつ)するような荒々しくて強気な子。でも、今日の彼女はなんだか弱気で、哀しそうな顔をしていた。
 ――何かあったのかな?

「うりっ! なにぼーっとしてんの?」

「あっ、ごめんねっ!」
 彼女を見ていたわたしを注意したのは、池上(いけがみ)きららさん。同じクラスの一軍女子だ。
 きららさんはキレイでオシャレで、学校の成績も優秀(ゆうしゅう)だし、運動もできて、完璧な女の子。
 わたしみたいな野暮(やぼ)娘とは大(ちが)いだ。今日はきららさんとそのお友達二人と一緒に花火大会に来ていた。
 どうしてわたしなんかが彼女たちと一緒かといえば、きららさんに(さそ)われたから。本当はあんまり乗り気じゃないんだけど、きららさんに逆らう度胸なんて、わたしにはない。
 茨さんみたいに強気になれないわたしは、強い圧力をかけられると、萎縮してしまって従う他に選択肢(せんたくし)がない。
「つーかあれ、茨コハクじゃん」
「あー、迷惑な問題児(もんだいじ)
 彼女たちにも、茨さんの姿を見られてしまった。
「髪は()めるわ、授業はサボるわで、うちの担任毎日キレまくってんのー。マジうっさいの」
 彼女のトレードマークは、(つや)やかなあわい茶色髪だ。
 わたしはきれいだと思うんだけど、学校の先生は毎日のように校則違反だと(とが)める。
 でも彼女は、地毛だと言い張って、(かたくな)なに黒くしようとしない。
 さらに、気ままに授業を欠席することも増えて、先生たちを(こま)らせている。
 他の生徒たちからも冷たい目線を向けられる彼女だけど……。
 本当に彼女の茶色い(かみ)が地毛なんだとしたら、授業を欠席するのにも何か事情あるんだとしたら、可哀想(かわいそう)だ。
 ……わたしなんかがそう思っても、何もしてあげられないけど。

「うり! なにボケっとしてんの? 早く買って来なさいよ!」
 
 びっくりした! きららちゃん……怖い……。
「はっ、はいぃぃ。あっ、なっ、何にするの?」
「りんご(あめ)! 言わなきゃわかんない?」
「ごっ、ごめんなさいっ!」
「アタシ、からあげね」
「ウチ、タピオカー!」
「お金はアンタので払いなさい!」
 なっ、なんて理不尽(りふじん)な……。でも、逆らう度胸もないし、大人しく買いに行く。
「……わかりました」
 重い足取りで屋台へいく。
「ねっ、トロいけど便利でしょ?」
 後ろから、きららちゃんたちの笑い声が聞こえる。わたしを(あざけ)る声だ。
 屈辱(くつじょく)だなぁ。もしわたしがコハクさんだったら、コハクさんみたいに強い女の子だったら……。
「イヤだ!」
 って、強く言えるのに……。
 ――ていうかわたし、イヤなんだ。
 
 ……人、多いなぁ。
 屋台(やたい)が並ぶ通りには、たくさんの人だかりが。花火がもうすぐ始まるからかなぁ。
 それぞれの屋台に行列ができていた。
 わたしのお目当ての、りんご飴、からあげ、タピオカドリンク。屋台は見つけたけれど、どれも並んでいた。
 すべての列に並んでいたら花火見れないし、……それに、お金がもったいない。
 一応、こんなことを想定して二千円持ってきたんだけど……わたしの貴重(きちょう)なお小(づか)いを、望まない形で手放してしまうのはいやだなぁ。
 どっ、どうしよう……。早くしないと、(こわ)いし……。
 
 コハクさんはすごいなぁ……。自分の胸の内に秘めている思いを、堂々と口に出せてしまうから。
 彼女の破天荒(はてんこう)な言動に、ひやひや怯えながらも「すごい」と尊敬(そんけい)してしまう。
 わたしも実は、彼女と同類なのかもしれない。

 ……そう思いながらわたしは、わたしの好きなきゅうりの屋台に並んだ。


 ♡ ♡ ♡


 行き交う人の()れをぼんやり(なが)めているうちに、辺りはずいぶんと暗くなった。
 おれは、母親とケンカして家を飛び出した。
 学校では髪のことをとやかく言われて、家でもいい子でいなさいとか成績優秀(ゆうしゅう)でいろとかうるさいし。
 大人しく(かみ)を黒く染めればいいのか? 大人の言う通りにいい子でいて、勉強ばかりをして優秀な子どもになれば、何も言われずに平和な日常が送れるのか。
 でもそれは、自分を殺すのと同義(どうぎ)な気がして、すごく(いや)だ。

 まるでアイツみたいだ。名前は田村(たむら)うり。

 去年中1の後期に転入してきた、やぼったい田舎(いなか)娘だ。
 昭和の時代からタイムリープでもして来たんじゃないかと思うほど、ベタなおさげ、瓶底(びんそこ)メガネ、顔のそばかす。
 その見た目に似つかわしい、気弱で大人しい性格。
 そして見事、一軍女子のさらに頂点に君臨(くんりん)する池上きららの目に止まり、今や立派な引き立て役兼奴隷(どれい)に落ち着いた。
 なんて清々(すがすが)しいほどベタな展開だろう。もちろん、アイツに救いの手が差し出されることなんてない。おれだって、遠くから見ているだけだ。
 面倒(めんどう)事は増やしたくないから。
 遠目でアイツを見ていると、すごく(おろ)かに思う。
 嫌なヤツにも愛想(あいそ)笑いを浮かべてペコペコし、理不尽な要求にも(だま)って従う。
 まさしく犬だ。
 周りの大人たちのいう〝いい子〟ってのは、ああいうのを指すんだろうな。
 奴らの犬に成り下がれということなんだろう。
 どれだけ心が(きず)ついてボロボロになっても、お(かま)いなし。
 おれは絶対に御免だ。自分の心を守りたい。
 だから反発してるんだ。どれだけ怒鳴られようと、どれだけ周りから(うと)まれようとも、大事なありのままの自分を(つらぬ)き通したい。
 でも……おれのこの想いは、間違ってんじゃないかと思う。
 ありのままの自分を大事にするあまり、命もろとも消えちまっては、元も子もない。

 バーン!

 夜になった空。丸く光る大輪(たいりん)が、勇敢(ゆうかん)な音を立てて開花した。
 周辺の人の群れが、ワーっと歓声を上げた。
 一輪の花が咲いたのを皮切りに、夏の夜空には次々と花火が打ち上げられた。
 まるで春の桜。気温が(あたた)かくなって、次々にピンクの花が()くように。
 でも、この紺青(こんじょう)のキャンバスには、ピンクだけじゃない、さまざまな色や形の花がぽつぽつと咲き(ほこ)った。

「あっ、あの……」

 おれに声をかけたのは、田村うりだった。花柄のかわいい甚平(じんべい)姿にトレードマークのおさげを()らして、きゅうりを差し出してきた。
「よかったらこれ、食べてください」
 うりがきゅうりを持ってやってきた。
 瓶底メガネ()しのやさしいほほえみは、花火以上に(まぶし)しかった。単に、花火よりもずっと近いところにいるからかもしれない。
 彼女は(こし)を下ろして、おれと目線を合わせた。
「……ありがとう」
 素直に受け取った。腹も(のど)もカラカラなのをずっと我慢(がまん)していた。金も持たずに出て行ってしまったから、このチャンスを逃すとマジで死んでしまう。
 おれにきゅうりを渡したうりは、すこし間隔(かんかく)()けた(となり)に座った。
 多大なる感謝と(とうと)い気持ちを抱きながら、恐る恐るきゅうりを一口食べた。きゅうり一本にそこまでの想いを抱くヤツは、地球上でおれぐらいだろう。
 意外なことに、きゅうりには味がついていた。漬物(つけもの)の味だ。
 本来のおれは、からあげやポテトの方が好きだから、きゅうりなんて見向きもしなかった。
 これはこれで、悪くないと思った。
「戻らなくていいのか?」
 おれはうりに(たず)ねた。
「うん、いいの。今更(いまさら)戻ったところで地獄だし。それに、もういい子はやめたの。自分の気持ちを大事にしたいから」
 ――ちょうどおれが悩んでいたことだ。
「おれはオススメしないな。自分の気持ちを大事にして、周りに(あらが)いつづけた結果がこれだから。お前みたいに、自分のプライドを曲げて愛想笑いしてたほうがよっぽど利口(りこう)かも」
「それこそやめといたほうがいいよ。自分の気持ちに(うそ)をつきつづけるのは、とても辛いし、なにもいいことない。毎日先生に抗ってる茨さんを見て、かっこいいなって思ったんだ」
 さっきから衝撃(しょうげき)()らいまくりだ。段々と()り上がってきた花火の音が、おれの心を代弁しているようだった。
 そんな風におれを見ていたヤツがいたんだな。おれがこいつを見ていたように。
「どっちが正しいんだろうな」
「……たぶん、どっちも正しくない。だって、どっちを選んだって苦しいから」
 ……まあ、そうだよな。どっちの道を選んだとしても、地獄を見ることになるってのは、すでに立証(りっしょう)済みだ。
「だったら、自分の心を守る道を選びたいな」
「え、反抗する気?」
「……そういうことになるね」
 こういういい子ちゃんの反抗って、想像以上に闇が深そうで怖い。
 でも、うりの言葉のおかげで、おれもなんだか勇気が()いた。
 やっぱりこのきゅうりは、あの燦然(さんぜん)と輝く花火よりもずっときれいで尊い。
 半分食べたところで、うりに差し出した。
「お前も食うか?」
 うりは少し間を開けて返事をした。
「うん、食べる!」
 意外なことに、食いついた。だってこれ、俗にいう〝間接(かんせつ)キス〟というやつだろうから。
 ……いや、平気なだけだな。漫画とか読まなそうだし、〝間接キス〟って言葉も知らなそう。


 ♡ ♡ ♡


 これ、〝間接キス〟だ!
 少女漫画とかたくさん読んでるから知ってる。
 花火大会で(あこが)れのクラスメイトと間接キスだなんて、なんて最高のシチュエーションだろう……。
 わざとやってるのかな? それとも無自覚かな?
 きっと、無自覚そう。コハクさんは少女漫画には興味なくて、少年漫画をたくさん読んでいそうだから。〝間接キス〟なんて言葉も知らなそう。
 わたしは喜んできゅうりを受け取って食べた。もともと、お祭りのきゅうり好きだし。

 わたしはそのまま、コハクさんと一緒に花火を見た。
 きららさんたちが(なぐ)り込んで来るんじゃないかと、内心ひやひやしたけど、そんなことは起こらなかった。
 それはそれで心臓(しんぞう)に悪い……。

「うり、もっと近づいていいんだぞ」
 コハクさんはそういって、わたしピタッとくっついた。
 近い!! そして、名前を呼ばれた!!
 真っ(くら)な夜空に咲き(みだ)れる、あの花火のような衝撃がわたしの胸のうちに広がった。