体育会系のノリについていけるわけない!
なんてことを考えてたら、じゃり、と横で足音がした。
「保健室、連れてってやろうか?」
誰かが私の横でしゃがんだ気配がする。
淡々とした響きの低い声に顔を上げると、私の隣には呼吸の仕方を忘れるほどきれいな顔があった。
ぶどう色のツイストショートヘアは、アップバングスタイルで前髪がかきあげられていて。
筆で書いたような濃い眉毛の下に、ぞくりとするほど鋭い眼光のつり目が均等に並んでいる。
澄み渡る青い空の色がかすむほど、そこにいるのは強い存在感を持ったイケメンだった。
「え…」
「…ん?」
そのつり目がしばたたかれて、私の顔をのぞきこむように、じぃ、と見つめてくる。
私は慌てて顔を背けた。
…でも。
「あのときの、お嬢さま?」
「ナ、ナンノコトヤラ…」
いつもよりうんと低い声で答えると、かすれて無理してます感が出てしまった。
鋭利な雰囲気を持ったイケメンは、私の背中に触れると、ぐいっと、私をお姫さま抱っこで持ち上げる。
「ぅ、わっ」
思わずがっしりした肩に掴まってから、頭が急速回転し始めた。
や、ば。え、どうしよう…!
このまま学園長室に連れて行かれる…!?
「八代、その転校生どうするんだ?」
「保健室に連れてく」
「チャイム鳴る前には戻って来いよ~」
なぜかニヤニヤとしてこっちを見てくる男子たちを尻目に、八代と呼ばれたイケメンはずんずんと歩く。
相当な長身だから、お姫さま抱っこされてるだけでも、いつもより目線が高くて慣れない。
すでにグラウンドに出た男子たちに続くように、校舎から出てくる男子の好奇の視線にさらされながら、八代さんは昇降口に入った。
この人本当に保健室に行くのかな…!?
職員室とか学園長室に行ったりしないよね!?
いや、保健室の先生に私の性別をバラすとかも…!
いっそ走って逃げ出す?
ううん、ただでさえ疲れてるし、この学園の生徒じゃ追い付かれる気しかしない…!
まさかあのときの人が護國学園にいるとは思わないじゃん…!
私はぎゅっと目をつぶって、八代さんと初めて会った日のことを思い返した。
それは、お茶会の帰りの出来事。
学校が終わったその足で、クラスメイトたちと有名なカフェに行って。
なんてことない話題で話し込んでいたら、すっかりオレンジ色から紺青色の空へ塗り替わる時間になっていた。
「西條さん、お先に失礼しますわ」
「えぇ、また来週」
迎えに来た車に乗り込む最後のクラスメイトを見送って、私はスマホの時間を確認する。
…遅いなぁ。
運転手に連絡しようか迷いながら、お店を出たところで「あの、すみません」と声をかけられた。
「はい?」
左を向くと、キャップを被った男の人がうつむき気味に立っている。
「この近くに、ホテルってありませんか」
「ホテル…ですか。それなら、向こうのほうにあったと思いますが」
スマホで調べればいいのに、と思いながら右のほうを指させば、男の人はそちらを見る素振りもなく。
「あの、近くまででいいので案内してもらえませんか?この辺りは不慣れで、道を聞いてもたどりつける自信がなくて」
「はあ…」
ちょっと不審かも、とは思った。
でも薄っすらとした記憶を思い返してみても、ホテルはそう遠い場所になくて、近くまで案内するのは数分で済みそうだったから…。
「…分かりました。こちらです」
私は男の人を連れて、カフェの前から移動した。
ホテルがあるのは、この通りから二本奥の道。
だから、すぐ横道に入って、人通りのない裏路地を歩いて行く。
そんなとき。
「西條瑠奈、だな」
「え?」
私のうしろを歩いていた男の人が、ぼそっと呼んだ名前におどろいて、思わず振り返った。
迫る手を、避けられるほどの時間はなく。
気づいたら、ぐぐぐ、と首を絞められていた。
「っ、ぅ!?」
とっさに、首に伸びた腕をつかんで引きはがそうしても、筋肉質で硬い腕はぴくりとも動かず。
やばい、死ぬ、とすぐに悟って青ざめた。
「…、…っ」
助けを求めようにも、声が出せない。
最初から私を狙ってたんだ、ホテルに行きたいっていうのは口実で、私を人気のない場所に誘い込むために、と意味のないことを瞬く間に理解する。
どうして、どうして、どうして。
「…っ、…!」
体が酸素を求めているのに、息ができない。
苦しい、苦しい、苦しい。
無我夢中で暴れていたとき、ふっと空気を吸えた瞬間があった。
「っは、げほっ、ごほっ、はぁっ、はぁっ」
一気に肺に入ってきた空気にむせて、しゃがみこみながら咳と呼吸を繰り返す。
首を絞める手の感触はもうない。
首に触っても、自分の手の感触しかしない。
それじゃああの男は、と顔を上げると、苦しみにあえいでいる顔が視界に映った。
キャップが脱げていて、まったく知らない顔であることがハッキリ分かる。
だけど、そんなことも気にならないくらい、私を襲った男のうしろに目を惹く存在があった。
「目的を吐け」
筆で書いたような濃い眉の下に、体の芯が凍えるような、底冷えのする鋭いつり目があって。
低い声で一言しゃべっただけなのに、のど元にナイフを当てられたような緊張感に襲われる。
そんな状態ですら、見惚れて頭が真っ白になってしまうような、きれいな顔。
「う、ぐっ」
私を襲った男の首を、ひじを引っかけるようにして背後から絞めているイケメンは、触れたら切られてしまいそうな、鋭利な雰囲気をまとっていた。
「残り3秒がお前の寿命だと思え」
「こ、殺せって言われたんだ!四條家の当主に!」
「え…?」
命乞いをするように吐き出された言葉が、信じられなかった。
なんでお父さまが私を…?
「ウソだったら…」
「ウソじゃない!本当だ!四條元嗣が言ったんだっ、西條瑠奈って女を殺せって!写真も見せられた!」
男は暴れるようにポケットを探って、そこから取り出したものを放り投げた。
ひらひらと舞い落ちるそれには、長い黒髪を姫カットにして、垂れ目を細め、上品に微笑む女性が写っていた。
お嬢様学校として有名な、私立大聖学園入学式、と書かれた看板を隣にして。
間違いなく、私だ。
去年、入学式の日に撮った写真。
身内しか、持っていないはずの…。
「ウソ…なんで…?」
かすれた声が漏れる。
「この女からは手を引け。また近づけば…」
「分かったっ、分かったから助けてくれ!」
イケメンが男を解放したのか、バタバタと足音が聞こえる。
へたりと座り込んだまま動けずにいる私の前に、誰かがひざをついて、写真を差し出した。
この場にいるのは3人だけだったんだから、相手は考えるまでもない。
「家の人間に連絡して、今すぐ迎えに来てもらえ」
「…あ、ありがとう…」
震える手で写真を受け取って、助けてもらったお礼をなんとか口にする。
「災難だったな」