「あ、足を見せるなんて、淑女のすることではない!」
わなわなと口角を震わせながら、ギーク殿下は顔を赤らめた。
元婚約者と、その男の腕の中で驚いた顔をしている聖女を横目に、私は艶やかなシルク製のドレスをじりじりと託し上げる。私の髪色よりも少し淡い菫色のドレスには雨粒を模したガラスビーズがいくつも縫い止められていて、私の今日の気分のように重い。
シューズロングのソファにドレスがゆっくりと持ち上がり、同色のヒールとレースのソックスが少しずつ顕になっていく。殿下の目の前で、固い貞操観念を持つ私が破廉恥な行動をとっていることで、いつも冷たい空気の漂う応接室の空気は一層ひんやりとしていた。
「足を見せることを懸念するよりも、楽しい方が良いと……エレナ様がそう、おっしゃいましたので」
「そ、それは召喚されてすぐに花畑を味わっていた時のことだろ! なんで君が今更そんなことを!」
私はぎゅっと聖女の肩を抱く王子の手に力が入ったのを確認して、スカートをたくし上げていた手をそっと止めた。どうせいつか誰かに全てを見せるのだとしても、その相手は今夜の殿下ではない。
「ここで私がどうしようと、殿下には関係のないことですわ。もう私の婚約者ではありませんもの。それよりコンラッド、貴方こちらへいらして」
聖女の後ろに立つ黒髪の男に、ソファの前へ来る様に伝える。呼びつける間に膝を重ねるように足を組めば、持ち上がったスカートの裾はさらに上り、膝の少し下までが一気にあらわになった。
ギークが、はっと息を呑む音がする。
『普段見えない部分を異性に触れさせるのは結婚してから』という約束は、乳母と彼との3人で決めたことだ。だから、10年の婚約期間を共にしていたギークですら、一度本を落とした時に指先が軽く触れたことがあるくらいで、それ以上近づいたことなんてない。
その約束のこともあり、長年、彼が私なんかに興味を持っているとは思えなかった。けれど、彼の反応を見ているとそうでもないらしい。今更ながらあの人も男だったのねと笑いが込み上げた。
「ねぇコンラッド。靴を脱がせて? つま先が窮屈なの」
少し高い声で、わかりやすく騎士を誘惑する。
チラリと見せつけているレースのソックスは、本来ギークとのそういう行為の日のために用意していた特注品で、乳母の戸棚から奪ってきたものだ。まさかこんな風に使うことになるとは思わなかったけれど、演出としてはちょうどいい。
かつかつと革靴を鳴らしながらソファの正面まで歩いてきた黒髪の騎士は、眉間に皺を寄せながらもゆっくりと足元へ跪いた。
「……よろしいのですか」
「私が良いと言ってるのよ? 責任は私にあるわ」
男のこめかみに、きらりと光るものが流れる。
聖女の隣に立つべき騎士は当然美しくあるべきだという彼女の意向で、見目麗しい者ばかりが集められているという噂は、本当らしい。さらりと流した前髪は彼のすっきりとした顔立ちをより際立たせていて、彫刻のような横顔に少し見惚れた。
彼は顔だけでなく、剣の腕も一級品。そんなにも優秀な人物がこんな私に付き合わされるのだから、気の毒だ。
同情の思いを抱えて彼を見つめると、予想外のタイミングでその美しい顔がこちらを向き、ばちんと目線が重なった。熱っぽいその表情にどきりとしながら、その動揺を隠すように目配せして、私たちは共犯者としての意思を確か合う。
「もうやめて! コンラッド様を弄ばないで!」
王子の腕の中で、はちみつ色の髪が揺れる。
彼女の感情に揺さぶられた空はぐんぐんと雲り、大粒の雨が窓を叩くように降り出した。
こうなってしまっては、あまり時間がない。もう終わらせようと再度アイコンタクトをすれば、コンラッドも同じく状況を理解したようで、小さく頷いた。
この部屋にいる男性の両方が自分のものだと言わんばかりに瞳を潤ませ、喉を詰まらせながら悲しむ彼女の表情に、心の底から辟易する。
彼女の男性への執着は今に始まったことではないし、今更驚かない。この世界に召喚されてから1年、彼女は自身の周りにそれだけ多くの男性を侍らかしていた。だからきっと、彼のひとりの裏切りに、気付かなかったのだろう。
「お言葉がすぎますわ、エレナ様。私は、私を好いてくださっている殿方としか、打ち解けたりはしませんもの」
にっこりと微笑んで返せば、エレナはパクパクと口を動かしながら、無音のままの反論を返す。けれど、言葉を返されようと、行動に出されようと、いまさら痛くも痒くもない。
婚約者のいる男性に近付くことも、スカートをたくし上げて花畑を素足で歩くことも、淑女としてあるまじき行為だと彼女には再三告げて来た。
けれど彼女はその忠告を無視したどころか「いつも厳しい言葉で罵倒されて辛い」と王太子に伝え、私との婚約を破棄させるところまで持ち込んだのだから、純真無垢な聖女様の行動力は大したものだ。
国母となるため、10年の青春を捧げた王妃教育。それをたった半年で無かったことにし、責任感の強かった王太子を聖女という立場で振り回したこの娘を、私は許さないと決めた。
「そうよね、コンラッド?」
重ねた方の右足の先を突き出して「早く」と急かせば、コンラッドは素直に頷いて、私のつま先と踵へ手を伸ばした。ハイヒール越しにも感じる手の温かさから、じんわりと彼の緊張が伝わる。
「や、やめろ! クラウディア、馬鹿はよせ!」
屈強な彼の肩に、手を乗せる。コンラッドの大きな手に支えられた踵を上へずらすように動かせば、ハイヒールは簡単に脱げた。
男の手の中にある私の靴は随分と小さく、まるで人形の靴のように見える。おかしな光景に頬を緩ませると、目の前に跪くコンラッドは耳まで赤くして、目線を床へと背けていた。
総レース編みのソックスを履いた足は、慣れないヒールに圧迫されて熱を帯び、彼の頬のように赤い。
部屋は急な雨のせいで薄暗いのに、コンラッドは逸らした目線のまま赤みを感じ取ったのか、少しでも楽になるようにと跪いた自身の膝の上に、私の足を添えた。
足の裏に、男らしい鍛え上げられた筋力を感じる。
ほんの少し沸いたイタズラ心で足を鼠蹊部の方へ滑らせると、コンラッドは何かを堪えたような必死の形相でこちらをみつめた。
彼と目線がぶつかるたび、心臓が耳についているのかと錯覚するほど、鼓動が頭に響いて、他の音が遠のいていく。長年そばに居たギークとは感じたことのない感情に、鳥肌が立つ。私は、ここで最後の賭けに出ることにした。
「コンラッド」
熱っぽい声で彼の名前を呼んで、両手を伸ばす。
私を選んでと思いながら彼の瞳を見つめると、それに応えるように彼の両手がこちらへ帰ってきた。
厚くほかほかとした胸板が、私の頬にぴったりとくっつく。私の心音が彼に届いているのかと思うほど、彼の鼓動もまた、走るように早く鳴っている。それなのに、軽く息を整えた彼は、その心臓の速さを微塵も感じさせないポーカーフェイスになると、私を抱き上げた。
彼の鍛え上げられた腕が私の背中と膝裏をしっかりと掴んでいて、たった2点で支えられているだけだというのに、私が少し身じろいだくらいでは全く揺らがない。私にはない強靭さに、何故か身体の奥の方がじわっと熱くなるのを感じた。
「では、さようなら……ギーク様」
声を振り絞って別れの言葉を告げ、彼の逞しい首元に抱きついたところで、窓の外に大きな雷がバリバリと音を立てて落ちた。聖女の感情、大爆発。
コンラッドの肩越しには、青ざめた王太子の顔と、目玉がこぼれ落ちそうなほどに目を丸くしてこちらをみつめる、聖女の顔が見えた。
「本当にこれでよろしいのですか」
「……いいのよ。ありがとう、コンラッド」
安定感のある太い首をギュッと握ると、苦しいですよと苦笑いするような彼の声がわずかに聞こえた。
*
聖女の召喚が、全てのはじまりだった。
この国の持てる力全てを使っても日照りの日々は続き、雨が一向に降らない。祈りの力が必要だと考えた女王は召喚の儀を執り行い、異世界から聖女を召喚した。
聖女が現れてからというもの、彼女の感情ひとつでこの世界の天気が変わるようになり、人々は聖女を手厚くもてなすようになった。王太子であるギークもまた、彼女を丁重に扱うべき存在の1人だったし、皆それを望んでいた。
実際のところ、私とギークとの間にあったのは友情に近い協力や戦友のような感覚で、熱っぽい視線を送り合うような関係ではなかった。ただ、彼を支えるために受けてきた王妃教育に当てた時間と、この国を守りたいという気持ちだけで婚約関係を続けていた。
けれど、聖女を崇める彼の中では、私の優先順位が確実に下がっていた。そうやっていつの間にかすれ違った価値観は再び交わうことなく、両家の溝は深まるばかりだった。
誘ったお茶会をことごとく断られ、舞踏会のエスコートにも来てもらえなくなった私とギーク・オフスプリングスとの婚約破棄が公表されたのは、聖女召喚からわずか半年後のことだった。
「クラウディア様、よろしいでしょうか」
自室のドアをノックする音がして、いちばんの馴染みのメイドから紹介したい護衛がいると声をかけられた。話を聞けば、聖女の護衛係の一人に任命されている王立騎士団の男だという。
「私の部屋へは通しません。ドアのそちら側で、お話になってください」
初対面の男性を私の部屋に入れるなんて、そんな無茶は当然できない。男性は狼だと心得ておきなさいと、乳母からもしつこく言われている。
「……まぁ誰に訊かれるかはわかりませんが」と付け加えると、低く掠れた声の男は一言「手紙を送る」と告げ、去っていった。男の足音が立ち去るのを確認してドアを開ければ、先ほど男を紹介したメイドが申し訳なさそうに立っていた。
「申し訳ありません、どうしても急いでいると言って聞かなくて」
「いいのよ。用があれば本当に手紙を送ってくるはずだわ」
これまでの人生を振り返ると、男性との縁なんてないに等しかった。ギークとの婚約をして以来、ギーク以外の男性を男性として見たことがなかった、王太子の婚約者に手を出そうなんていうバカはいない。会話をしたのは教師を含めて数人といったところで、今更解放されても異性を異性として見ることへの不安の方が強い。
ギークは、突然我が家を訪問したり、プレゼントを送ったり、そういうマメな男ではなかった。
だから当然ながら私も、突然訪問してきた男の対処法なんて知らないのだ。これでもし自分に何かあれば、両親にも乳母にも申し訳がたたない。消えた男の背中を想像して、仕方ないのよと言い訳を呟いた。
「お嬢様、先程の者から文が届きました」
メイドが落ち着き払った様子で分厚い便箋を届けて来たのは、男の訪問の翌日だった。どこかで見たことのある封蝋がなされた手紙を開けると、それは昨日の無作法を謝る文章からはじまっていた。
そしてそこには、ギークが長らく聖女に入れ込んでいたこと、公務と称して毎週のように舞踏会へ行き、本来の公務を放棄していることなどが書かれていた。
確かに王太子の公務のなかには舞踏会や晩餐会といった華やかなものがいくつもある。聖女が召喚されてからは聖女のお披露目という名目の会が多く開かれていることは知っていたし、彼がエスコートに適任であることもわかっている。けれど、その先の文章だけは簡単に飲み込めなかった。
「……『彼女は王太子様とのご結婚を望んでいます』?」
美しい文字で書かれた手紙が、ぐにゃりと歪む。
瞬きをするとぽたりとドレスに水滴が落ちる音が聞こえて、ようやくそれが涙のせいなのだと理解させられた。
「あ……れ……? 私ってば、どうしたんですの」
唐突な涙に、思わず笑いがこぼれる。確かに笑っているはずなのに、頬を伝う涙は熱く、一度溢れ始めるとなかなか止まらない。ハンカチで拭ってゆっくり呼吸をし、昂る波を細波に変える想像をしながら、必死で感情を落ち着けた。
*
「あなた、バートンおじさまの甥御さんなのね」
見覚えのある封蝋の模様は、滑車を意味するふたつの歯車模様だった。バートンおじさまはまだ幼いクラウディアをよく可愛がってくれていた遠縁の親類で、今でも時々文を交わす間柄だ。
「はい、ジェイク・バートンの姉の息子にあたります」
甥が騎士になったという話は聞いていたけれど、こんな美丈夫だとは思っていなかった。あのぽっちゃりとしていて小さな庭師に、こんな子孫がいたなんて。よく見れば、くっきりとした太い眉や顔立ちは、どことなく似ているような気がする。
バートンおじ様がよく口にしていた「若い頃はそこそこモテていた」という自慢は、案外本当かもしれないと思いながら、庭の方を向く青年の後ろ姿を、何度も眺めた。
歳をきけば4つ上の26歳だという。その年齢での王立騎士団員とは、最年少かそれに近いくらいの素晴らしい功績で、彼の剣の腕が確かである何よりの証だった。
メイドに淹れさせたばかりの紅茶を2、3口飲んで、窓辺に佇む彼の方をそっと見つめる。
座るよう促すことも、返事を急かすことも、貴族として美しいものではない。そして何より、席についたからと言って何を話せばいいのかわからない。貰った手紙の内容は、まだ十分に理解できずにいる。
だからあくまでもゆっくりと、自然に彼が口を開くまで待つつもりだった。けれど、寡黙そうな彼が話し始めるのに、そう時間はかからなかった。
「クラウディア様。どうか、王太子様の目を……醒ましてくださいませんか」
思いがけないお願いだった。
ほんの少し間が空いて、彼が聖女にまつわる事情を話し出すまで、私の目は瞬きを忘れていた。
「クラウディア様は、エレナ様が魅了の力をお持ちなのはご存知ですか」
「魅了って、その、異性を惑わすっていう……? 具体的にはよく知らないのだけれど、どこかで読んだ気がするわ」
幼い頃に読んだ絵本だったか、乳母から聞かされた昔話だったか、そんな類の記憶。それは話題になるまで思い出せないような、ほんの些細な思い出。
けれど、その質問を肯定したコンラッドから聞かされた彼女の力は、その私の想像を遥かに超える内容だった。
何故か会話をするたび、彼女を愛おしく思う感情が胸にどっと溢れて、皆一様に数回の会話で恋に落ちるという。さらに、彼女を取り巻く男性陣同士が同じ場所にいると、どちらかが彼女を好きになるたび、もう片方は嫉妬の渦に巻き込まれるらしい。
そうやって、まるで粉挽き風車のように自然に恋に落ちるような流れにコンラッドは警戒心と危機感を覚え、ギークの元婚約者である私に会いに来た、というわけだった。
「それで、ギーク殿下は彼女に魅了されてると……そういうことね」
「仰る通りです。聖女様をお守りするべき立場ではありますが、その前に私も国民のひとり。このままでは聖女1人で王家の私有財産を使い尽くすのも、時間の問題です。お辛いかとは思いますが……これを止められるのは、もはやクラウディア様しかいらっしゃらないかと」
そう言って、コンラッドはまた窓の外を眺めた。
聖女の機嫌が良い日は、天気がいい。
曇りならご機嫌斜め、雨なら……機嫌は最悪。この一年近くで常識となった聖女の知識のひとつだ。
今日の天気は、残念ながら晴天。つまり、彼女は上機嫌で暮らしている。王家の私有財産を食い潰しながら。
「何故私が止められるとお思いなのですか? 私はギーク様から見放されたような……形ばかりの婚約者でしたのに」
私は、自分で口にして傷付くという愚かな性格で、でも令嬢としてのプライドを捨てきれない残念な人間だ。今更彼を助けようとしたところで、素直に聞き入れてもらえるとも思えない。
そんな人間に、出来ることなんてあるんだろうか。俯く私を、コンラッドは褒めもしなければ貶しもしない。彼はただ一歩近くへ歩み寄り、目の前で右手を差し出して跪いた。
「どうか私と、この国の行末を救っていただけませんか」
真剣な眼差しに嘘は感じない。けれど、王立騎士団で聖女の護衛として生きる身分の男性なら、彼女を守ることに誓いを立てているのだろうと疑う心が、時折顔をのぞかせる。
「貴方が私を裏切らないとわかったら、考えます」
それがその日の、精一杯の返事だった。貴族の矜持だのなんだのと言いながら、結局、私は彼を信じられなかった。
*
季節はいつの間にか暖かな季節を超え、肌寒さを感じる時期を迎えた。婚約破棄の数ヶ月後、王太子ギークと聖女エレナの婚約が発表された。エレナ様は今頃、私が受けていた10年の王妃教育を駆け足で受けていることだろう。
コンラッドはといえば、ただ我が家へ来ては庭先や応接間でお茶とクッキーを味わい、他愛無い会話を2、3続けては帰るという週末を何ヶ月も続けている。しかも、薔薇の花束や茶菓子のような手土産を持って。
「私のような口下手な男との時間は、つまらなくないか?」
「つまる、つまらないの問題ではありませんわ。時折親睦を深める程度のつもりでしたのに……毎週お菓子を持っていらっしゃるんですもの。おかげで体が丸くなってしまいそうですのよ」
ぷくっと頬を膨らませて抗議の意を見せつけると、コンラッドは口元を押さえて顔を逸らす。耳も、首も真っ赤にしてまで笑うなんて、と胸にちくりと棘が刺さったような痛みを感じた。
「……もう。おかしいならおかしいと言ってくださいませ。私がはしゃぎ過ぎているようで恥ずかしいですわ」
顔が熱くなるのを誤魔化そうと紅茶を流し込むと、彼は私の左手首を軽く掴んで、こちらを見るようにと言いたげな様子でその手首をそっと引いた。
「いや、おかしいんじゃない。無自覚にはしゃぐ貴方があまりに可愛らしいから……その、つい」
可愛いと言ってしまいそうで堪えるのに必死だったんだと、コンラッドは弁解を続ける。
「貴方は誰よりも賢く、誰よりも美しくて、可愛くて、素晴らしい人間だ」
「ば、馬鹿なこと言わないでくださる? 私これでも22歳ですのよ。褒められて喜ぶ年頃はとっくに過ぎましたわ」
思わぬ相手からの言葉に対して素直に嬉しいとはいえず必死に誤魔化すと、そんなところも可愛いと笑われた。いつも真っ直ぐにこちらを見つめる目が今日はどこか少しセクシーで、こちらも熱に当てられて体がじんわり熱くなる。
「クラウディア。改めて俺に、貴方を守る権利を譲ってくれないだろうか」
剣ダコだらけの手のひらが、私の手首を包み込む。硬くなった手のひらは壁面のように乾燥していて、彼が毎日欠かさず訓練をしていることは容易にわかった。
「改めて……? 私以前もそのようなお願いをされました?」
そんな熱烈なオファーは、記憶に無い。
「いや、その……だな。前は、国を一緒に守りたいとかなんとか、そんなふうに言ったかもしれないが」
しどろもどろになりながら、コンラッドは頭を書いたり、手を組んでみたり、いかにも動揺していますという態度で話を続ける。
「なんだ、その。あれだ……出来るならば俺が、君のことを守りたいんだ」
「聖女様の護衛なのに、私のことも守ってくださるんですか? 嬉しい。でも、どうやって? ……あ、もしかして明日のギーク様からの呼び出しの時間、護衛当番はあなたなの?」
もしそれなら、心強い。
言葉の意味を履き違え、勝手に舞い上がる女は面倒だと、巷で人気の恋愛小説で見たというのに、勝手に勘違いするところだった。
「あ、まぁ、それもそうだが……」
「ならよかったわ! 私、あなたにひとつお芝居を打っていただきたいのです」
「芝居ですか。いつ、どのようにすれば?」
「あなたは私に従うだけでいいわ。貴方きっと、意識するとダメなタイプですもの」
そうして、私たちは秘密の芝居の約束をしたのだった。
*
「コンラッド、そろそろいいわ。その角を曲がったら下ろしてくださる?」
大きな腕に抱きあげられた体は、彼の体温ですっかり暖かい。このまま揺られていては、眠りについてしまいそうだというのに、コンラッドはその場に私を下ろそうとせず、さらに先の大きな扉の部屋へと運んだ。
壁にかけられた女王の肖像と、一通りに揃えられた家具の雰囲気から察するに、ここは来賓用の宿泊部屋のようだ。
天井まで続く大きなドアがしまると、壁際へと追いやられた私に、一回り以上も背の高い影が重なった。
「コンラッド、待って、落ち着いて。あれは演技、そうよね?」
全身にうっすらとかいた汗で、シルクの裏地が肌に貼り付く。彼の目は鷹が獲物を狙うような、そういう目をしている。
「俺が堅物で、嘘をつけない男だと、わかっているだろう」
一歩ずつ、ジリジリと近づく距離。
コンラッドの両手が私の両手を取り、壁へ繋ぎ止めるように手首を押さえつける。
「今までの言葉に、嘘偽りはない。そして、これからも」
熱っぽい視線がぶつかったと思ったのも束の間、端正な顔が私を捉える。私たちの間にあった距離は声を出す前に縮まって、惹かれ合うように唇同士が触れ合った。
「っちょっと、ここを……どこだと思って!」
家で刺繍や読書ばかりしている私が、彼の腕から離れようと少し力を入れたところで、その腕はびくともしない。
「誰も来ない、俺たちの為の場所だな」
「そ、そんなわけ……! 私は操を守らなくてはいけないのに……!」
「いや、貴方が良いと言ったんだ。責任は君にあるのだろう?」
ニッと片方の口角をあげて笑った堅物は、手をぱっと離すと、大型犬のように私へ抱きついた。そのまま私のお尻を両腕で抱き上げるようにして持ち上げると、真っ白なレースの美しいベッドへそっと下ろした。
「俺は真面目だからな。忠誠を誓った相手には素直に従うんだ」
覚えておくといいという言葉の後、私はコンラッドにこれでもかと愛され、観念した。元はと言えば私が蒔いた種だから、後悔はしていない。
私たちが全身全霊をかけたギーク殿下と聖女エレナへの抗議はどうやら後からじわじわと効いたようで、結婚してからのギークはエレナを誰にも会わせないようにしているらしい。人に会う機会を失ったエレナは王家の財産を使うタイミングもなくなり、無駄遣いもだいぶ減ったと聞いている。
私たちが恋仲になった翌週、自宅へ届いたバートンおじさまからの手紙は長文で、丁寧に包んだ菓子折りが一緒になっていた。